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二十代後半、国立文楽劇場に知人がいて「勉強になるだろうから」ということで、文楽公演のパンフレットに乗せる「梗概」を書かせてくださった時期がある。あらすじである。

文楽の台本を読みながら、それをまとめていく。文章の勉強にはなったが、読めば読むほど、「なんと邪魔くさい世界や」と思った覚えがある。

主人のためにわが子の命をささげる武士。不倫している旦那に文句も言わず、尽くしまくる嫁。その嫁をいじめまくる姑。そして登場人物は、義理人情の苦しみや辛さを、隠すどころかいつまでも延々と嘆いて見せるのである。頭が涌きそうな気がした。
 

そのころ、文楽劇場でパンフレットを買った人はお気の毒だが、そこには若造がいい加減に書いたあらすじが載っていたはずだ。
 

人形浄瑠璃、文楽は、朝日座に櫓が突き出ていた時代から見てはいた。しかし、楽しめる演目はそんなになかった。縁起物の「三番叟」は楽しかったし、歴史的な人物が活躍する時代物はまだいいと思った。だが、義理人情が渦巻く世話物はたまらなかった。今どきのものではないと思った。



では、何のために文楽に通っていたのか。一つは上方芸能を勉強するため。もう一つは大夫や人形に魅力的な人が何人かいたからだ。
 

一人は四世竹本津大夫(1916-1987)。この人は、上方落語なら六代目笑福亭松鶴(1918-1986)に当たるような人で、腹の底に響くような豪快な声を出した。野太くて、しかも味があった。「津・越路時代」と言われ、繊細な芸風の竹本越路大夫(1914-2002)と並び称されたが、私にはぼそぼそと語る越路の良さは分からなかった。
 

上方落語協会事務局に勤めていた頃、東京で芸団協の会合があって、出かけたことがあった。芸団協は日本の芸能人団体の連合だ。当時会長は六代目中村歌右衛門(1917-2001)だったが、所要で出席できず、かわりに副会長(だったと思う)の津大夫が壇上に立って「各先生方が、しっかりご相談されて、良い方向に導いてくださいますようお頼み申します」というようなことを言った。背広姿の津大夫は佐野周二(関口宏のお父さんですね)によく似た二枚目で、非常に謙虚だった。これも好もしく思ったのだ。
 

もう一人は、人形遣いの二世桐竹勘十郎(1920-1986)。女優三林京子、吉田蓑太郎(現三世桐竹勘十郎)きょうだいの父だ。私は人形の良し悪しはさっぱりわからなかったが、この勘十郎は、人形を使いながら表情が怖くなったり、柔らかくなったりするのが見ていて面白かった。息子の蓑太郎は大人しそうで、お姉ちゃんにいじめられてるのかな、とか思ったが、最近はお父さんにそっくりの風貌になっている。

 

熱心に見てきたわけではないから偉そうなことは言えないが、文楽は一部の人を熱狂させる力はあると思う。しかし、多くの現代人にアピールするような芸能ではないと思う。世界も倫理観も、感情表現もあまりにも違いすぎる。しかし、その芸能としての厚み、深さは、大したものだとは思う。
 

大阪市政の改革に大ナタを振るっている橋下徹市長が、今度は文楽協会をターゲットにしているようだ。補助金を凍結すると表明した。
 

大阪市音楽団に求めたように、独立採算へ向けた企業努力を求めるのだろう。「行政の常識、一般企業の非常識」を標榜する橋下氏からすれば、文楽協会にも「自分で飯を食え」と言いたいのだろう。
 

しかし、文楽は「今どきの芸能ではない」。そのままではどんなにアピールしても、多くの人が振り向く芸能ではない。だからといって、一般に受けるためにアレンジしてしまっては、文楽の命は失われる。落語や漫才とは違うのだ。
 

“公営”に胡坐をかいた無駄は排除されるべきだが、文楽は、マーケティングやビジネスとは別の理屈で評価して残していくべきだと思うのだ。
 

文楽は、大阪、上方の市民が愛好して守り伝えてきた芸能である。昔の上方の息遣いや、感情がそのまま伝わっている。関西人のエッセンスとでも言うべきものが凝集されている。
 

財政はピンチだが、こういう芸を「市の道楽」として残しておく雅量はあっても良いと思う。世間にはもっとしょうむないものが、のうのうと生き残っている。
 

現在の文楽大夫のトップ、竹本住大夫(1924- )が橋下市長に会談を申し入れているという。住大夫師には一度インタビューをしたことがある。悪声だが、人情の機微をこれほど細やかに表現できる人はいないという。豪放磊落でしかも繊細。私はライオンに話を聞いているような気がしたものだ。




88歳、いまだ矍鑠たる住大夫師が、義理人情に訴えかけて、橋下市長の功利主義を諄々と説き伏せてくれることを祈りたい。

 

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