hibikore

昨日のGoogleのトップ画面のYouTubeには、例の大津市のいじめ事件の加害者だと言われる子供の親の顔写真がでかでかと載っていた。そして、いじめた3人の子供の顔写真、親や祖父の名前、住所、職業から自宅写真まで、さらには教師の顔写真と自宅写真までが公開されていた。

本当に恐ろしい時代が来たと思った。



大津市教育委員会の初動のまずさは明白だ。また糊塗策の連続によって世間の不信を買ったのも間違いがない。
 

こういう形で、ずるずると事態が引き伸ばされることで、社会はいら立ちを募らせ、教育委員会や加害者への非難はますます高まっていく。


世間というのは勧善懲悪的な二元論に陥りがちだ。「悪者さがし」をしてしまうものなのだ。このムードに便乗して騒ぐ馬鹿者もでてくるものだ。


インターネット以前であれば、こうした馬鹿者はせいぜい、学校に石を投げる程度だった。


しかし、ネット社会は歯止めがかからない。加害者側の情報をすべて暴き立て、瞬時に日本、世界に発信してしまう。当然、こうした危うい情報にはアクセスが集中するから、巨大検索エンジンの順位は、たちまち上がっていく。


そこには、これまでの常識や、世間知は全く機能しない。まさに暴走が始まるのだ。


主犯格とされる子供の父親は、京都市内で会社を経営していた。今は、その会社のサイトは閉鎖されている。その代わりに2ちゃんねるや、その他のサイトがずらっと並んでいる。正義面をして会社を潰そうと呼び掛けるサイトや、あたかもWikipediaのような顔をして会社、個人の情報を詳細に載せているサイトばかりである。

加害者とその親族の人生は、大きく暗転することだろう。


恐らく大津市教育委員会の人々にも、危難は及んでいることだろう。テレビで顔をさらしているだけに、今は身辺の危機さえ感じているのではないか。教育委員会の対応は確かにまずいし、秘密主義や、事なかれ主義は非難されてしかるべきだ。しかし、それと、個人の安全やプライバシーは全く別の次元の問題だ。


ネットというのは、きわめて匿名性の高いメディアである。自分たちは安全な高みにいながら、特定の相手を徹底的に攻撃することができる。攻撃しているうちに、面白くもなって、その矛先は当事者だけでなく、その周辺にも及んでいく。


恐らくこうした攻撃をする人間は、ごく普通の生活を送っているのではないか。しかし、パソコンに向かったとたんに、凶暴性を帯びるのだ。こうした人間は、ネットの中では「万能の正義の味方」としてふるまうのだ。


世間の常識や権力の規制が及ばないネットはある種のアジール(無縁所)になりつつある。


正義面して加害者の情報を暴き立てる情動と、同級生を自殺に追い立てた大津市の中学生の情動は、ほぼ同質だと思う。日ごろのストレスを、全く無防備な相手にぶつけたい。

人間であれば、多少とも抱くであろう衝動を、本能むき出しでぶつけているという点で、いじめ中学生と何ら変わるところはない。
 

今、ネットで情報を発信する人間は、自らの良識を試されている。匿名性があるから、自身が安全だから、何をしても良いと思う人間にならないよう、自らを律することが求められている。
 

犯罪者でもなんでもない人間の実名を平然と書いた時点で、そのサイトはアウトだと思う。その瞬間に、彼らは見ず知らずの一般人を窮地に陥れることに加担しているのだから。


有名人、名前が売れることで飯を食っている人間はともかく、多くの一般人は、名前や住所が知られ、本人が特定されることで、大きな危険にさらされるのだ。


こういう状況が続けば、国家や権力が、ネットに介入する口実を与える。また、Googleなど巨大検索サイトも自主規制を行う可能性が出てこよう。


一部の馬鹿者たちが、せっかく獲得しつつあるネットという自由な表現領域に、権力が入り込む余地を与えてしまうのだ。

自由だから、匿名が許されるから、守らなくてはならないモラルがある。そのことが解らない人間は、ネットをすべきではないと思う。

 

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