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山田五十鈴とアーネスト・ボーグナインは、12日違いで生まれて、1日違いで死んだ。何か関連性はないかと思って両者の生涯を年表にしてみたのだが、何の関連もなかった。

せっかく作ったので掲載する。ここでは、主に山田五十鈴について所感を述べる。



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これは勝手な推測でいうのだが、山田五十鈴は戦前、一昨年死んだ高峰秀子(1924-2010)や、原節子(1920-)、入江たか子(1911-1995入江若葉の母)などと比べると、人気の面では少し落ちたのではないかと思う。演技派として認められてはいただろうが、やや古風な顔立ちで、大衆的な人気では一歩及ばなかったのではないか。

しかし、35歳を過ぎたころからの山田五十鈴は凄味を帯びてきたのではないか。

私が山田五十鈴を強烈に記憶したのは、黒澤明の『蜘蛛巣城』だった。主人公の鷲津武時(三船敏郎)をそそのかして、主君や親友を裏切らせる妻、浅茅の役。

因果応報の定めで、武時、浅茅夫婦は追い詰められる。良心の呵責に耐えかねて浅茅は発狂するのだが、そのシーンが身の毛がよだつほど恐ろしかった。

手に付いた血がいくら洗っても取れぬと、盥で手を何度もすすぐ浅茅。「おかしいねえ、何度洗っても取れないのだよ」と繰り返すセリフのおぞましさ。この映画は、黒澤映画の中で、最も怖い一本だと思うが、その中のクライマックスだった。

その前年の同じ黒澤作品『どん底』では、因業大家の二代目中村鴈次郎との夫婦役。煮ても焼いても食えぬ欲深の女を演じて余すところがなかった。

この二本で山田五十鈴は私にとっては「怖い女」という印象が定着した。

舞台「たぬき」は、女大名と言われた女芸人立花家橘之助(1866-1935)を題材にした芝居。落語評論家としても活躍した劇作家榎本滋民(1930-2003)の戯曲だから、戦前の寄席の雰囲気が横溢する舞台だった。山田五十鈴が、芝居だけでなく三味線を聞かせたり、芸事を披露するおいしい舞台。ここでは達者さが際立っていた。

立花家橘之助は、1935年に京都で水害に逢って死んでいるが、山田五十鈴も当時日活に所属して京都、太秦にいたはず。本人に逢ったことはなかっただろうか。橘之助の女道楽「たぬき」の音が残っているが、勝気そうなその声は、山田五十鈴とよく似ている。

必殺シリーズでは、どすの利いた女殺し屋。物干しざおの藤村富美男とともに、いるだけで濃厚な迫力があった。また、あの流し目の怖いこと。

何度もしわ取りの手術をしたのだと思うが、年齢を重ねてから表情が無くなっていき、人間離れしていったものだ。

娘の嵯峨三智子は、山田五十鈴によく似ていたが、もっとだらしない感じ。それだけ人間味もあったように思うが、ずいぶん早くに死んでしまった。彼女を失ってから、もう何も失うものはなかったのではないか。

山田五十鈴を一言でいえば「存在感」ということになろう。

 

すこしだけアーネスト・ボーグナインの話。山田五十鈴と同い年だが、はるかに遅れて役者になっている。「地上より永遠へ」の野蛮な軍曹役も良かったが、「ポセイドンアドベンチャー」の分からず屋の中年男も良かった。アメリカにもこんな不細工なおっさんがいるんだ、とも思った。これほど人間味のある顔もそうはなかった。ジェームズ・ギャグニーよりも野卑で、スケールは小さいが、確かにアメリカのある階層、あるタイプの人々を代表していた。

晩年は、毒気が失せて、往年のボーグナインとは思えなかった。





最初に言った通り、山田五十鈴とボーグナインは同じ年の冬に生まれ、ほぼ同じタイミングで天に召されているが、共通点も接点もほとんどない。
 

強いて挙げればやたらに結婚をしたということだけである。

 


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