平清盛の父は忠盛、祖父は正盛、子は重盛、孫は資盛。桓武平氏の宗家の血筋はずっと「盛」の一時を受け継いでいる。こうした代々受け継いでいる家の字を「通字」という。

平氏の場合、「盛」と言う通字は、清盛の時代から200年ほど前の先祖、平貞盛にさかのぼる。貞盛は、平将門のいとこであり、最大のライバルだった。将門が反乱をおこすと、貞盛は、藤原秀郷などと鎮圧軍にまわって、将門の乱を鎮めた。
 

この功によって平貞盛は、平氏の正当の地位を得たのだ。しかし、「盛」の字は、その後嫡男に代々受け継がれたというわけでもない。貞盛の嫡男は維衛、その子は正度、その孫は正衛、そしてこの正衛の子が清盛の祖父正盛だ。正盛は大河ドラマ「平清盛」にもちらっと出てくるが、清盛よりおよそ半世紀前に活躍した武人だ。彼の代で、栄光に満ちたご先祖貞盛にあやかろうと「盛」の字を諱(いみな=正式の名)に復活させたのだろう。ご先祖のパワーをもらおうとしたのかもしれない。

 



「通字」は中国から伝わった風習だ。中国や朝鮮では、兄弟の諱に共通の一字をつける習慣があった。これが、本来の「通字」だった。
 
日本へは恐らく平安時代に伝わった。以後、日本人の名前は大きく変わるのだが、伝来当初は中国と同じく、兄弟が共通の一字を名乗るルールだった。藤原道長の兄弟は道隆、道綱、道兼。源義家の兄弟は、義綱、義家。


しかしそのルールは
1世紀もたたないうちに崩れ出し、親、子、孫が同じ字を受け継ぐと言う、日本独自の「通字」が広がったのだ。
 

日本的な「通字」は、明治維新まで延々と続く。日本史の調べ物をするときは、この「通字」は重宝する。 「通字」 を見れば、その人物がどの氏族の出身かは大抵察しがつくからだ。


鎌倉幕府執権家の北条氏は「時」。同じ北条氏でも戦国大名の北条氏は「氏」。毛利氏は「元」。上杉氏は「憲」だったが、「景」を通字とする長尾氏出身の上杉謙信(景虎)が養子に入ってからは「景」。伊達氏は「宗」、織田氏、武田氏は「信」などなど。


室町時代に入ってから親の字を受け継ぐ「通字」だけでなく、殊勲など偉い人の名前の一字をもらう「片
諱(かたいみな)」という習慣ができたために、話はややこしくなる。武田信玄の俗名晴信は、将軍足利義晴の「晴」と「通字」の「信」を合わせたものだ。江戸時代には、有力大名家は、「 」と「通字」の組み合わせで名前が決まることが多くなった。


「通字」は家の歴史、血統を表すものとして、便利だし尊重すべきものだ。しかしながら二文字の名前の一字が決まっていると言うのは、あと1字しか使えないと言う点で、かなり不便ではある。伊達政宗のように、家系に同じ名前が二人出ることもあった(えらいご先祖にあやかる意味もあったようだが)。また江戸時代の大名には、懲りすぎたあまり通字に加えて、ほとんど読めないような難しい字を用いることもあった。


下の
3人は江戸時代のお殿様の名だが、読めますか?

藤堂高邁亀井茲監、伊達宗贇

(とうどうたかとう、かめいこれみ、だてむねよし)

 

今も、「通字」を使って命名する人は珍しくない。長嶋茂雄と子の一茂、野村克也の子の克晃などは、明らかに「通字」だ。その点では、日本の「通字」の伝統は生きていると言えよう。

女性にはこうした「通字」の習慣はない。あくまで男性だけ。

 

しかしながら、この日本独自の「通字」は、本家の中国や朝鮮から見れば異様な風習に映っている。

もともと「通字」は儒教の考えから出ている。兄弟、いとこ、またいとこなど、先祖を同じくする子孫が、同世代の結束を強めるために名乗るものであり、一族統合の象徴だった。特に韓国の人々にとって、家系は今も非常に重要だ。自分がどの系統の何氏に属するか(本貫という)は、ほとんどすべての韓国人が知っている。同じ本貫の男女は、たとえどれだけ系統が離れていても結婚できない。職場恋愛で相思相愛になった男女が、本貫を調べていたら同じで、泣く泣く分かれたという話さえあるのだ。


同じ本貫同士の結婚を防ぐためにも、「通字」は非常に重要なのだ(もっとも、都市部では名前の付け方は崩れつつある。また、最近の北朝鮮は、金日成、金正日、金日恩と世襲を国内に知らしめるために、日本的な「通字」を使い始めている)。


実は日本にも中世まで本貫は存在したのだが、次第に忘れ去られた、


朝鮮半島では、今も親の字を受け継ぐと言うのは考えられない蛮風だ。韓国の人と名刺を交換して、「ところでお父さんのお名前は?」と聞かれ、同じ字を持つ父の名を答えたとする、あなたはその瞬間に“野蛮人”とみなされている可能性もあるのだ。



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