法華津といえば、愛媛県宇和、吉田の難所のことを思い出す。私は法華津峠を自転車で越えて死にそうになった。五輪に出る法華津寛もこの地の出身で、代々の名家の出だそうな。
もともと馬術と言うのは、馬も飼育しなければならないし費用もかかる。今回の選手団にも。武田薬品元社長の令嬢武田麗子が入っていたりする。
法華津寛は、12歳から馬術をはじめ、27歳で東京五輪に出場。その後は実業家としての道を歩んでいたが、定年後再び馬術をはじめ、67歳にして北京オリンピックに出場したのだ。
もともと競技人口が少なく、底辺が狭いスポーツではあるが、71歳での挑戦は称賛に値しよう。
オリンピックでの戦績
64年当時は愛馬ラノに乗って3走した。44年後の2008年は有名になったウィスパーで5走したが、ウィスパーが逆走して敗退した。
今回も愛馬はウィスパー。15歳。競馬ならとっくに引退している。選手、馬ともに超高齢での挑戦。
この法華津こそ「参加することに意義がある」選手だと言えよう。
1932年のロサンゼルス五輪金メダリスト、太平洋戦争で散った西竹一氏は華族の出で、現在のJOC会長の竹田恒和氏も二度オリンピックに出てますが、生まれは旧竹田宮家で、あのプリンスホテルの由来になった宮家。
法華津氏も慶應ボーイのエリートサラリーマンでした。
私の両親よりも年上の方がオリンピック、それだけでも素晴らしいことです。