hibikore


所用で沖縄に来ている、今年2回目だが、町角に「オスプレイ反対」の看板を見かけた。2か月前は見かけなかったから、かなり熱くなっていると言う感じだ。

オスプレイの何が危険なのかは前にも書いたが、要するに推進力であるプロペラが垂直から水平に切り替わるタイミングで事故が起こりやすいということだ。上昇するときにバランスを崩すのも怖いし、着陸するときはプロペラを90度転換する際に数百mも落下する。最近事故が起こっているが、そのたびに操縦士のミスと言う報道がされる。そんなに操縦しにくいのか、とも思ってしまう。機体に欠陥がなくても、操縦しにくいのはそれだけで大きな欠陥でしょう。

岩国にもうやってきているが、そんなことを考えていると、飛び上がるや否や全機墜落して、岩国が火の海になりそうな気がしてくる。

そんなに危険なのなら、裏からこそっとシリアのアサド政権に横流しして、事故を起こさせてはどうかとさえ思う。

確かにオスプレイの開発では、無理な部分が結構あったようだ。アレクサンダー・ヘイグ将軍の肝いりで作られたが、見切り発車的に配備された部分もあったようだ。

しかしながら、そういうリスクを取ってでも開発したいと思う根拠もあったのだ。

兵員や物資の高速輸送には飛行機が欠かせない。しかし飛行機の発着には長大な滑走路がいる。へき地での作戦や支援には飛行機は使えない。そういう場所ではヘリコプターが使われるが、ヘリは少ししか荷物が運べないし速度が遅い。地上から狙撃されやすい。

オスプレイは飛行機並みのキャパシティとスピードを持ちながら、ヘリのように垂直離着陸ができる。夢みたいな飛行機だったのだ。

仮に東日本大震災の時に、米海兵隊がオスプレイを救援物資の補給や被災者の搬送に使っていたら、素晴らしく作業ははかどっただろうし、日本人はもろ手を挙げてオスプレイを歓迎したはずだ。そうなっていたら、オスプレイ反対運動は起こっていなかったかもしれない。

しかし、今、オスプレイはこれまでの基地や、原潜、原子力空母にかわって、沖縄の反米、反戦、反基地運動の象徴のようになりつつある。まるで悪魔の兵器のように呼ばれている。

この背景には、反戦団体がオスプレイを新しい象徴として祭り上げていることもあると思う。基地問題の象徴としてオスプレイを持ち上げようとしているようだ。
 



空港から乗ったタクシーの運転手さんに話を向けると、即座に「オスプレイじゃないのよねー、問題は」と言った。運転手さんは、「これだけあぶない、あぶない」と騒がれているものを、なぜ沖縄に平気で持ってくるのか、ということだった。よその土地で反対運動が起これば、政府はそれを押し切って配備することはまずない。でも、沖縄だけは、危険なもの、物騒なものでも平気で持ってくる。なぜなのか?ということなのだ。

ややこしいもの、問題がありそうなものは沖縄に押し付けておけ、という本土の人間の思惑が透けて見えると言うのだ。

「そんなに安全なのなら、オスプレイはまず東京に配備すればいいんじゃないの?」演歌をガンガン流しながら、かりゆし姿の運転手さんはそういったのだった。

 

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