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これはかなわない!と思うような文章を書く文人はたくさんいる。

絢爛豪華な文章なら谷崎潤一郎、名刀の切れ味を感じる文章なら志賀直哉、明治の香りが漂ってくる夏目漱石、武士の格調を感じさせる森鴎外、外連味たっぷりの池波正太郎、時代は飛ぶが、平明でしかも知的な文章の海老沢泰久、彫琢の深さを感じる吉村昭、司馬遼太郎は講談の楽しさだろうか。

本は、お酒のように酔わせてくれるが、体にも頭にもちっとも悪くないのがいい。そして文章上手が、無尽蔵というくらいたくさんいるのも楽しい。

そんな中で、文章のすごさだけなら一番だと思うのが、内田百閒(1889-1971)だ。

 

夏目漱石の門人は数多いが、内田百閒は一番その影響を受けた作家だろう。

岡山の造り酒屋に生まれ、東京帝大に進み夏目漱石に師事した。

この人は、家庭人、社会人としては失格だった。家業の造り酒屋が傾いて東京に出てきたのだが、金もないのに妻子で贅沢な暮らしをして破産。大学教官もやめて借金取りに追われる生活をしたが、のちに作家となった。息子を死なせたことがもとで、妻と別居。別の女性と事実婚関係となった。

昭和初期には流行作家となり、作品が映画化されたりした。美少女として人気だった高峰秀子が、百閒先生のもとを訪ねた写真なども残っている。

戦後は、『阿房列車』シリーズがベストセラーとなった。また、法政大学の教官時代の教え子との交流を描いた文章も話題となった。黒澤明の『まあだだよ』は内田百閒を描いた映画だ。

 

世の中の役に立つような文章は何一つ書かなかったと言って良い。身辺雑記をただ書き散らした。借金生活、美食趣味、漱石門下の文人との交流、猫や小鳥の道楽。勝手気ままに生き、それをそのまま書いた。

人気作家ではあったが、人を喜ばせるために書いたわけではない。自分の書きたかったことを、そのまま書いただけだ。志賀直哉のように気高い芸術性があるわけでなく、正義感やイデオロギーがあったわけでなく、まるで子供のような純真さで文章を書いた。

しかし、その文章は、格調が高い。昭和戦前の豊かさが立ちのぼってくる。

『阿房列車』シリーズは、ただ汽車、列車に乗るためだけに、お供のヒマラヤ山系とともに西へ東へ行くだけの物語だが、実に楽しい。たとえば、雨の駅。ベンチで所在なげに汽車を待っている百閒と、 ヒマラヤ山系 。傘の先で水たまりをつつく百閒先生。その描写の鮮やかさ。読むたびにため息が出る。

 

百閒はその死後、一時期忘れ去られた作家だ。鈴木清順監督の映画『ツィゴイネルワイゼン』(ATG)の原作となった「サラサーテの盤」が注目されたのがきっかけで、1980年代後半になって見直された。
旺文社から内田百閒文庫が刊行され、ブームとなった。旺文社文庫はもうなくなったが、この文庫を出しただけでも意義がある。

一般受けした文章も質が高いが、本質的には言葉を磨きこんだ耽美主義的な作家だったと思う。

その最高傑作の一つとされる『菊の雨』から

 

御苑の暗い空から降り濯ぐ大粒の雨は、花壇を包んで、檜皮も油障子も突き破らうとする下に菊花は闇をはね返して燦爛と輝いてゐる。あれが咲分け、あれが懸崖と昼間の記憶を追ってゐる内に色の名も解らぬ不思議な帯が滔々と流れ、繁吹きを上げて降り込む暗い雨の裾を染めてそこいら一面がほのぼのと明かるくなる様子である。
 

菊の雨 (旺文社文庫 121-15)

内田百閒は旧かな遣いにこだわったために、読みづらいが、一度嵌ると病みつきになる。

今は、中公、新潮、岩波など各社から文庫本が出ている。

 

 

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