hibikore



我が家にも家内が買ってきたこの漫画があって、時折ページをめくる。釈迦とイエスが東京のアパートをシェアして21世紀を迎えた日本でバカンスをしているという設定。

少しロマンチストで節約家の釈迦と、みーはーで浪費癖のあるイエス。二人の日常を軽いタッチで描いている。二人は99%普通の人間と変わらないが、時折奇跡を見せたりして、「ただの人」ではないことを、思い出させてくれる。

ほのぼのとしたタッチ、大きな笑いはないが、そこはかとしたユーモアがあって、人気があるのは良く分かる。

しかしながら、この漫画は、かすかではあるが、危険なにおいがする。
 



釈迦にしてもイエスにしても、その存在が、世界史に及ぼした影響の大きさ、深刻さは計り知れないものがある。

イエスが始めたキリスト教は、「中世」という教会が支配する時代をヨーロッパにもたらした。教会は人々の信仰を支配しただけでなく、生活や経済、生命まで支配した。宗教裁判や宗教戦争によって、多くの命が奪われた。カトリック教会への批判からプロテスタントが生まれたが、その過程自体が中世から、近世への超克だと考えられている。またキリスト教徒は十字軍が聖地回復のために遠征をしたことで、イスラム教徒との間に深い対立関係を作った。

日本では16世紀にキリスト教が伝わったが、数十年後には「島原の乱」という日本の国家体制を揺るがすような大乱を引き起こした。江戸幕府が寺院を介在して人民を徹底的に管理したのは、キリスト教が非常に危険な宗教だという認識があったからだ。

釈迦が始めた仏教は、主にアジア圏に広がった。日本には6世紀に入ってきた。古代の代表的な内戦である物部氏と蘇我氏の争いは、仏教を受容するかどうかの戦いだった。

仏教は次第に国家権力と結びつき、大きな力を持つようになった。日本の「中世」は、比叡山を中心とする宗教権力が、支配した時代だった。既存の仏教界は、新興の宗派を弾圧した。日本においても、近世とは既存の仏教勢力からの超克によってもたらされた。

 

現代社会は、宗教とは一見無縁の時代のように見えるが、宗教は今も人々の心を大きく支配し、価値観や行動規範を決定している。

そういう意味では、釈迦もキリストも、いまだに生きて、影響力を及ぼしているのだ。

日本という国は、形而上的なものや信仰、宗教などとのかかわりがきわめて軽いために、釈迦やキリストを漫画にしてしまう。こんな国は日本しかないと思うが、この漫画や映画を笑って楽しめない人も中にいると思う。

 

仮に、仏教=釈迦、キリスト教=キリストと並ぶ世界三大宗教であるイスラム教のムハンマド(マホメッド)を、キャラクターとして登場させたらどうなるだろうか。怒りっぽいとか、キュリアーン(コーラン)が手放せないとかいう形で揶揄したらどうなるだろうか。

 

仏教もキリスト教も、それほど過激な行動をとる宗教ではないので、見過ごされてはいるが、特に海外の熱心な信仰者からすれば、異様なことが行われているのではないだろうか。

日本語で書かれた漫画がドメスティックに読まれている分には、何ともないが、映画化されてさらに有名になり、海外の人が見るようになれば、非難する人もいるのではないだろうか。

私たち日本人は、無邪気すぎるのではないかと思う。世界の人が日本人と同じくらい「軽い」と思うのは、大きな間違いだと思う。この漫画の展開を危惧する。
 



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