少し前の話になるが、文楽協会と橋下大阪市長の公開面談は、橋下市長によって補助金交付の凍結が解かれ、文楽協会側はひとまず胸をなでおろしたようだ。
橋下さんは文楽について「一部のインテリだけが楽しんでいるだけ」「島田紳助のほうが面白い」と発言していた。古典芸能とテレビのお笑いとの区別がついていないような発言で、お里が知れると思っていたのだが、落としどころはあらかじめ決めていたのだろう。峻拒する文楽協会を公開面談に場に引きずり出した時点で、勝ちという意識があったのではないか。
しかしながら文楽協会の技芸員の面々も、「役者馬鹿」ぶりを見せつけた。「芸道修行で手いっぱいで集客やの新しいことする時間はおまへん」「うちだけ特別扱いにしとくなはれ」。
一人前の技芸員が月10万円しかもらえていないという現実は気の毒ではあるが、文楽協会側にも時代感覚のあるリーダーが出てくるべきではあろう。
「今のままで手いっぱい」というのは、世間が見えていない証左ではある。いかな古典芸能といえど、世の中の動きと無関係では存在しえない。私は少しだけ古典の世界を知っているのだが、そういう世界の人間は開明的な人にしても「私らにはわかりまへん、新しいことができる言うなら、おたくさんから提案してみてください」などというのだった。
落語や漫才など「古典」ではない芸能の真似はできないにしても、他人頼みではなく「何か新しい動き」を自らの手で起こして、現代社会と切り結ばないと新しい集客は望めない。
歌舞伎役者がテレビや映画に出て顔を売るのも、狂言師がアイドルみたいなパフォーマンスをするのも、今の社会との接点を作るためだ。そのために本業の歌舞伎や狂言の「芸が荒れる」ということはない。
狂言など能楽の「お添え物」に過ぎない芸能だが、今や本家筋の能楽よりもはるかに人気がある。
潰してしまっては二度と復元できないから、古典芸能は守られるべきとは思うが、技芸員が全員「役者馬鹿のままでいい」ということではない。
橋下市長と「古いもの」に関して、昨日もう一つの話題があった。「なにわの海の時空館」に展示されている「菱垣廻船」が、この施設の閉鎖に伴い廃棄されることに造船工学などの学者が抗議して保存を訴えたというのだ。
「なにわの海の時空館」という施設に行かれたことがあるだろうか。南港の埋め立て地にあるドーム型の博物館だ。「大阪の海の交流史」を学ぶ施設だそうだが、これほど内容の薄い博物館も珍しい。施設の展示も中身が薄いし、「海洋史」に一般の人が興味を抱かせるような工夫がほとんどない。
そもそも、博物館とは建物を作ってガラクタを入れれば一丁上がりではなく、リピーターを呼ぶためにいかに変化にとんだ出し物を間をおかずに見せていくかが重要なのだが、この施設はそうした展示も少ないうえに貧相だ。
この施設にはレストランや喫茶施設もないし、ミュージアムショップもない。建物を作ればそれでおしまいの典型的な「箱モノ行政」である。170億円かかったそうだが、私は子供連れでこの施設に行って、立派な建物にほとんど人がいないことに、空恐ろしいような気がしたのを覚えている。
「菱垣廻船」はこの施設の真ん中にどーんと置いてある。施設の目玉なのはいいが、船舶関係者以外には、一度見れば十分な展示である。もちろん昔の船を完全復元させたというのはすごいことだが、二度と取り出せないように建物の中に閉じ込めてしまっては宝の持ち腐れだと思う。また、この大きな展示物があるために、大胆な企画展示ができなかったのではないかとさえ思う。
この船は10億円かけて建造された。建造時に一度海に浮かべられ、航行している。その映像はなかなか勇壮で、興味深いものだったが、今の安全基準からすれば常時航行できるはずもなく、博物館に収まったということなのだ。
世界に二つとない貴重なものなのは事実だが、これを大阪市が維持保存するのは無理である。
橋下市長が「貴重だというなら買ってくださいよ」というのは首肯できる。大阪市だけではないが、行政はこうした道楽みたいなことに税金をたっぷりと使ってきた。
外郭団体や周辺施設を作ることで、行政職員のポストを実質的に増やし、さして必要もない人々に無駄な給料を与え続けてきた。
文化的な価値があるという点では文楽も菱垣廻船も同様だが、その成り立ちを考えるなら、菱垣廻船の存続に公金を拠出し続けるのは難しいと思う。
「なにわの海の時空館」は先先代の磯村隆文市長の時にできた。この市長は共産党以外オール与党の体制で、大阪ドーム-
ユニバーサルスタジオジャパン - フェスティバルゲート - なにわの海の時空館 - 大阪歴史博物館
- 舞洲スポーツアイランド - キッズプラザ大阪
- 大阪くらしの今昔館 - 大阪プール-
大阪市中央体育館などの箱モノを作りまくった。またこの時期に大阪市の職員の給与は全国トップの水準になった。
この市長は学者出身で利用されただけだとの話もあるが、五輪招致にも失敗し(大阪市はそもそもIOCに対してまともなプレゼンテーションもしていなかったのだが)、最後はごうごうたる非難の中で引退、3年後に死亡した。
大阪市の財政を悪化させた磯村市長時代の付けを、今の大阪市民は払わされている。
このことを考えるならば、菱垣廻船は当時、大賛成した議員、ゆるゆるの見積もりで建物を建てて大儲けをした企業や、関連施設のポストにありついてろくに働かずに給料をもらっていた市職員上がりの職員たちが金を出し合って、存続すべきだと思う。
文楽は、今最も閉鎖的な芸能です。狂言や能はストレートプレイの演出をつけて、コラボレートしたり、中国の役者が太極拳を舞っているシーンで謡ったりなど、必死に活動しています。文楽は、文楽として観客に見せるだけで、クロスオーバーさせたりするなどの意欲は見られません。ガラパゴス的にも「進化」するんでしょうか。
そして今、能勢浄瑠璃シアターには人が来ているんでしょうか・・・。