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 「レコード大賞」というイベントを「まだやってるのか」と思うようになって何年経つだろうか。レコードというものが、骨董品化してからでも30年になろうとしているが、結局「レコード」に代わる媒体が定まらないうちに、ずるずると54回も続けて来た感じがする。

今回のレコ大の総評での服部克久制定委員長の発言が問題視されている。

「歌謡曲からヒップホップまで、本当に幅広い音楽を聞いていただいたと思います。これが今の日本の歌謡界の現状で、今日3時間聞いていただいてすっかりその現状が把握できたと思います。お楽しみいただけましたでしょうか」

 

昔はレコード大賞と言えば、紅白歌合戦と並ぶ年末の大イベントだった。花形の歌手はTBSからNHKへと車を飛ばして駆けつけるのが恒例だった。全盛期の昭和50年代には、まだアーティストなんて小じゃれた名前はなくて、歌手、ミュージシャンだった。

 

当時は、大賞受賞曲と言えば、日本人の大半が口ずさむことができ、その歌手の半生や、家族や、生活を話すことができた。

すでに演歌、ポップス、ニューミュージックと言ったジャンルができていたから、年寄りは若者の歌をうるさがり、若者は古臭い歌を馬鹿にしたが、それでも耳の端にとどめることができた。

しかし、今の音楽界は、細分化が進みに進んで、人々の嗜好は世代や男女、趣味などの枠でとらえることができなくなっている。

一言でいえば、歌手、アーティストの物語を誰しもが共有することができなくなっている。

 

今のファンは、好きな音楽家のことは、恐ろしいまでによく知っている。SNSによって、誰がどこにいて、何をしているかもわかるようになっている。

 

しかし、ファンでない人にとっては、その人物が何であるかさえ分からないことも多い。新聞などのメディアにも載らないことも多いから、その名前さえ聞いたことのない場合もある。

 

こうした様々なジャンルの音楽家たちが一堂に集まる機会は、今のところ今日行われる二つのイベントしかない。

 

その様子は、さながら「水族館」のようである。陽光を浴びて水面を飛び回るトビウオがいるかと思えば、巨大な砲弾のようなマグロもいる、底知れぬ海底にうずくまる不気味な深海魚もいれば、泥水の中にうごめく川魚もいる。

「魚」という点を除けば、何の共通項もないような集まりができているのだ。

 

水族館の見世物ならまだしも、時間的な流れのあるイベントとしては、まとまりがつかないこと夥しい。そこには、すでに意義や意味は失われていると思える。

 

もう一つ、言うならば、今の人々は、音楽家たちが仕掛ける見え透いた「金儲け」、あざとい「罠」に易々と引っかかるのである。

音楽の良し悪し、クリエイティブで売るのではなく、駄菓子屋の店先でやっている「当てもん」のようなトラップに引っかかって、CDDVDがどんどん売れるのだ。

 

結果として、レコード大賞は2年連続でAKB48が受賞した。

もっともよく音楽を売った音楽家が受賞するからだ。しかし、彼女たちが、日本中からもっともよく支持された音楽家であるとは言い難いだろう。

販売されたCDDVDの大半は、聞かれることなく部屋の隅に捨て置かれるのだ。このことを何とも思わない人たちがたくさんいるのだ。

 

価値観が崩壊し、人々は正常な判断能力を失っているように思える。

 



服部克久と言えば、日本の歌謡曲、ポップスの父、服部良一の長男であり、英才教育を受けたエリートにして、日本の音楽界を背負ってきた人物である。

この人をしてため息にも似た発言をさせたのは、「音楽はもうとっくに終わっている」という諦念からではないだろうか。

 

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