hibikore

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年越しは、毎年東大寺に行くことを吉例としている。大仏殿に参って、干支の親子土鈴を買うことにしているのだ。


大阪市生まれだが、大阪と奈良の県境で育った私にとって、奈良の大仏は小さいころからなじみが深かった。幼稚園から小学校と遠足で何度行ったかわからない。

花見や紅葉狩りにも行ったし、東大寺の背後に盛り上がる若草山には、子どもを連れて登りに行った。

近鉄の奈良駅を降りてから東大寺までの道筋は、目をつぶっても歩いていくことができる。それくらい通いなれたお寺だ。

 

しかし、私はいつ行っても、東大寺の伽藍が近づくとどきどきする。

自称“寺リスト”の私は北海道から沖縄まで約2万か寺のお寺に行って写真を撮ってきたが、東大寺は日本一のお寺だと自信をもって推すことができる。

 

その大きさや、文化財の豊富さもさることながら、たたずまいの美しさ、周辺の街を含めた雰囲気の良さは、他の寺にはない。

 

古さだけでいえば法隆寺の方が上だ。この寺も小さいころから行っていて、今も少し頑張れば自転車で行ける距離にある。

この寺も広壮で、境内を歩いていると飛鳥時代の街にいるような錯覚を覚える。しかし、法隆寺は一色なのである。金堂、五重塔、その他の伽藍や塔頭も、みんな同じトーンだ。聖徳太子が建立した寺の重厚さ、風格はあるが、それほど変化がない。

 

これに対し東大寺には、奈良時代、聖武天皇が建てた建物が残り、平安時代初期、この寺の別当となった空海の痕跡も残り、鎌倉時代、重源が活動した跡もあり、戦国時代の傷跡も、そして江戸時代、徳川氏の権力の遺物もつぶさに見て回ることができるのだ。

 

変化に富み、しかもそうした歴史の堆積が違和感なく「東大寺」という大きなまとまりの中に、きれいに収まっている。その見事さに、いつもため息が出てしまう。

 

そして元旦の東大寺は、本当に特別なのだ。この日の零時、年が改まった瞬間から朝の8時まで、大仏殿の正面、ちょうど大仏様のお顔の位置にある窓が開き、そこから大仏様のお顔が拝めるのだ。

いつも仰ぎ見ている大仏様を建物の外から、真正面に拝することができる。大仏様と視線を合わせることができるのだ。

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私はいつも、軽い恐怖を覚える。圧倒的な量感のあるものに睨み据えられて、虫にでもなったような心地がするのだ。この大仏様が立ちあがったらどうしようと思ってしまう。

 

そして大仏殿に入って大仏様の膝元から時計回りに中を一周して、もう一度正面にもどって、干支の土鈴を買って表に出るのだ。

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これで年越しの用事は澄んだのだが、このまますんなり帰る気にはなれない。大仏殿を出て右手の坂を上がり、三笠山のふもとの手向山八幡、二月堂、三月堂などのエリアに行くのだ。

ここは、東大寺の前身となった金鐘寺があったとされる、東大寺で最も古いゾーンだ。奇跡的に、聖武天皇が建てた建物が一つ、現存している。三月堂(法華堂)だ。

この建物は、鎌倉時代に「増築」されている。三角屋根のお堂に四角い建物が建て増しされているのだ。

変則的なのだが、これが絶妙のバランスになっている。私はこの建物が日本で一番美しいと確信している。

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この建物を眺めながら北にある二月堂に上がる。お水取りで有名な建物。ここから明け始めた奈良の街を眺めて、帰路につくのだ。

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実は私が東大寺で一番好きな場所は、この帰り道にある。二月堂の屋根つきの階段を下りて、奈良の街へと向かう下り坂。荒々しい土がむき出しになった練塀と石垣に挟まれた石段を下っていく。このあたりの気配がたまらなくいいのだ。

よく時間が止まっていると言う表現を使うが、この坂は、平安時代くらいから人々が上り下りしてきたのだ。

古びた、かけがえのない空気を吸っているという感じがして、胸が熱くなってくる。

今朝は、この坂で3人のお坊さんと出会った。「おめでとうございます」とあいさつをしてすれ違い、思わず後姿を撮影した。

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古代の空気を身にまとったような厳かな気分になって、明け方の奈良の街をそろそろと歩いて電車に乗り、帰宅したのだ。

 

1年に一度心を清めて年明けをする。今年もよろしくお願いいたします。

 

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