相変わらず若者が店や公共の場所で馬鹿な写真を撮ってSNSに上げて炎上する騒ぎが続いている。
コンビニや飲食チェーンから端を発しているが、最近は伏見稲荷の鳥居の横で早大生が全裸になったり、有名靴下チェーン店で靴下を股間に当てたりしている。
オリジナリティがないし、下ネタが多いし、ユーモアのセンスは最悪だ。無教養で、幼稚だ。
小さいころからテレビから流れてくるものをそのまま鵜呑みにしているから、そういうレベルの低い猿まねしかできないのだ!とは思う。
しかし、こういう愚行がたびたび続くと、その行動から別趣のものも見えてくる。
こうした騒ぎに共通するのは、馬鹿な写真を撮る場所が、みんなが知っている有名な場所や大企業、チェーン店舗に限られているということだ。
近所のおばちゃんがやっているお好み焼き屋とか、場末の居酒屋でこういうことをする若者はいない。誰も知らない店舗でそんなことをしても注目度は上がらないし、世間からも「可哀そう」「単なるいじめ」と非難されるだろう。
恐らく、彼らは無意識に、メジャーなもの、体制側(と思われるもの)を棄損するような行為に出ているのだと思う。それは挑発だ。
全面的に対決をする度胸はないが、「大きなもの」「大人」「社会」に対して、一発でいいから殴りつけたい、蹴りつけたいという願望が、こういう行動に結びついているのだと思う。
この行為が、単なるブームであれば、何人かの愚か者がきつい「お目玉(学校を退学にさせられたり、仕事をクビになったり、損害賠償訴訟を起こされたり)」を食らうのを見れば、収まるはずだ。
それが、事件発生から2か月以上も同様の事件がぼつぼつ続くのは、それが単なる「遊び」「ブーム」ではなく、何らかのメッセージ性を帯びているからだと思う。
当該の若者の境遇は千差万別。有名大学生で、そんな馬鹿をやらなければまともな企業に就職できる若者もいれば、すでにドロップアウトをして、どこにも行き場がない若者もいる。
ただ、彼らに共通しているのは、「世の中へ出ても何も良いことなどない」「面白そうな果実はみんな上の世代が刈りつくしてしまった」という思いだろう。
そうした疎外感が、人間的な幼さと相まってこういう行動に結びついているのではないか。
イメージでいえば、授業についていけず、教師からもクラスメートからも無視されている子どもが隣の女の子にいたずらをしたり、授業を妨害したりするのと同様に、若者たちは「世間の目を引きたい」ためだけにリスクを冒しているのだと思う。
一つ一つの行為は愚かで、取るに足らないものだが、若者たちは「もっと俺たちに注目してくれ」と言っているのだ。
大学を出て企業に入っても、大半は管理職になれない社会。ブラック企業にしか入れなかったり、いずれはリストラで会社を追われることが既定路線になっている社会。それ以前に、社会の一員になることさえできない社会。自分たちが老人になるころには、社会保障もなくなっている社会。
日本の社会は、こうした若者の声を政治に反映できなくなっている。若者は投票にも行かないし、政治にも関心がない。
一方で、何十万もする豪華な列車の旅や、本格的な海外旅行が飛ぶように売れている。それらを買うのは、年金を100%受け取り、退職金も潤沢にもらって悠々自適の生活をしているシルバー世代だ。
政党は、こうした高齢者や高所得者、既成労組など既得権益層と結びついて、さくさくと政治を進めようとしている。
老人は若い者に将来を託すと口では言うが、既得権益を手放す気はさらさらない。老人は若者に対して決して優しくなんかない。
結局老人たちは、「国家や社会の富」を食い尽くして、何食わぬ顔で「空のコップ」を若い世代に渡そうとしているのだと思う。
冷蔵庫に頭を突っ込んだり、裸で店の椅子に座るような若者は、そういうやり方でしか「異議申し立て」ができない。政治に関するプロトコルが教育の現場からも、家庭からも失われているからだ。
それを一方的に彼らのせいにすることもできない。そういう教育を与えたのは上の世代だからだ。
彼らの憤懣を、選挙にぶつけるような誘導路を設けることができる政治家が出現でしたら、世の中は少しは変わるかもしれない。
彼らの意見を代弁するような政治家、政治家の卵がでてこないと、将来、日本は大きな貧富の格差を抱えた、活力のない国家になるのではないか。
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団塊の世代が、諸悪の根源みたいになってますね。