突然ですが、本日から丹波地方を取り上げたブログを連載します。
「たびたび城たびin兵庫」と言う兵庫県の企画に応募したところ、当選し、当サイトにてブログを掲載することになった次第。
事務局より「丹波地方に行ってください」との指示があったので、本日、丹波に一泊旅行に行くことにした。
とはいっても当サイトが単純な「グルメガイド」「観光ガイド」をしたところで、お客さんが喜んでくれるはずはない。
やはり私の視点で、それなりのブログを書かないといけない、そう思っている。
今日は、そもそも「丹波」とは何かから始めたい。
「丹波」は律令制度でできた「国」の一つである。現在では兵庫県の一部と京都府の一部を占める。
旧分国が、現在の都道府県の境界をまたぐ例は、紀伊国(和歌山県、三重県)などがある。
兵庫県側の丹波は面積比で20%程度、京都市側は亀岡市、京丹波市、綾部市、京都府左京区など。兵庫県側は篠山市と丹波市。
都がおかれた京都の北部にはいくつかの盆地があった。その盆地ごとに人々が居住し、町が生まれた。盆地はそれぞれ高い山に囲まれていたから、街ごとの交流は少なかった。
丹波国の分化が多様で、まとまりがないのはこうした経緯による。維新後二つの県に分かれた際も大きな抵抗はなかったようだ。
さて、兵庫県側の丹波である。
中心地である丹波篠山と言えば、丹波杜氏。酒造りの民である。
私は若い頃、白鶴酒造がメインクライアントだったが、昔ながらの季節蔵には10月から3月まで丹波杜氏がやってきていた。
酒屋の若旦那と一緒に、丹波杜氏の宿舎である蔵に泊まり、酒造りを見学したことがある。
食事は質素なものだった。さつま揚げの煮つけと菜のお浸し、味噌汁。漬物。ご飯。
杜氏が「つけもんに醤油をかけるやつは、2~3年経ったら杜氏に出てこんようになる」と言ったのが印象的だった。塩分の取り過ぎは高血圧につながり、寒暖の厳しい酒造りには耐えられないと言うことだった。
食事が終わると酒宴になった。当たり前の話だが、日本酒以外は出てこない。「あら走り」と言われるしぼりたてでまだ炭酸分が強い酒や、生一本、純米酒などの飲み比べをさせていただいた。うまいのはうまかったが、酒の飲み方を知らない若造であり、最後は酔いつぶれてしまった。
そういう人が多いのだろう。翌朝、酒造に使う「宮水」をたっぷりと頂いたが、まさに甘露だった。
1泊2日の体験で、酒造とは何かが大まかに理解できた。
そして丹波というのは、大阪、神戸からわずか車で2~3時間の地にも拘わらず「在(=田舎)」であり、骨太の風貌をたたえていることもわかった。
以後、私は旅行企画やグルメ企画で何度もこの地方を訪れているが、その都度「都会に染まらない」丹波地方に好感を抱いている。
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