「ごちそうさん」の視聴率は「あまちゃん」を上回っているそうだ。好調の原因はいろいろあるだろうが、主人公の小姑役、キムラ 緑子の存在が大きいのではないか。
この人はいろいろなドラマに出演している。「ちりとてちん」など関西系の朝ドラでは見慣れた顔だ。

私が大学生の頃は、学生演劇の全盛期だった。
つかこうへいに刺激を受けてあちこちに誕生した学生演劇は、関西では「劇団新感線」という人気劇団を生んだ。スターは京都大学のつみつくろう。今の辰巳卓郎だ。この人はとにかく女子大生にもててもてて仕方がなかった。私の周辺にもおっかけがいた。「ぷがじゃ」ことプレーガイドジャーナルでは、毎号のように特集が組まれた。西のつみつくろう、東の野田秀樹などとも言われた。
そのころ同志社大学にマキノノゾミという演劇人がいた(この人は私と生年月日が全く同じだ)。劇団MOPを主宰していたが、キムラ 緑子は、この劇団の人気女優で、のちにマキノと結婚。一時離婚したが再び一緒になっている。
キムラ 緑子は当時は天真爛漫でかわいい女性を演じていた。花形女優だったが、いつの間にか薄口醤油で煮しめたような関西弁を駆使する脇役女優になった。
彼女は商業演劇の出身ではないのだが、その達者さ、うまさで群を抜いている。「ごちそうさん」は、彼女のキャラクターの集大成ともいえるだろう。




他の地方の方は「あんな女の人、本当にいるのか」と思うかもしれないが、関西にはたくさんいる。
「ごちそうさん」で彼女の演技を見ていて、私は何度か胸の奥から何かが突きあげてくる感じがした。はて、この「むかつき」はどこかで経験したぞ、と考えて、そうか、うちの母親に似ているのだ、と思い当った。

うちの母は箕面の料理旅館の長女に生まれた。婿養子だった祖父は、利発な母をかわいがり、特別扱いして育てた。
そのせいか、母は「自分を中心にこの世は回っている」という世界観を持つにいたった。学生の頃から天衣無縫で、趣味は爆竹。空き地で爆竹に火をつけて投げるのが大好きだった。
猫を捕まえてきて、高い建物から突き落とすのも好きだった。「猫が鼻血を出した」といって喜んでいたようだ。
薬科大学に進んで薬剤師になり、製薬会社に就職して父と結婚した。貧乏も経験し、苦労もしたが、鼻柱の強さは変わらなかった。
私は「成績が悪い」と、勉強机を二階の自室から庭に叩きつけられたことがある。学校から帰ってみると庭一面に自分の持ち物が散乱していたのだ。これを拾って歩く情けなさ。
ある朝など、玄関を出る刹那に炊いたかぼちゃをぶつけられたことがある。私はとっさによけたつもりだったが、母のなげたかぼちゃは2シームの変化をして私の顔に当たった。顔の右半分を黄色くして学校に出かけたものだ。

今は80歳になって凶暴性は少し失せているが、残念なことに非常に元気である。連れ合いは12年前に死んでいるのに、一向に後を追う気配はない。
私は今も彼女と30分も一緒にいると腹がふつふつと煮えくりかえりそうになる。

母とキムラ 緑子演じる小姑の共通点は、「何事も自分の気の済むようにやらないと収まらない」ということだ。相手の気を察したり、気を回したりするのではなく、自分がこうと思ったことをやることが最善だと思っている。

あるときは、大阪梅田でお見合いをする妹に、「弁当を持たせる」といって聞かなかった。「そんなん、梅田の街のどこで食べるのよ!」と妹は泣き出したが、母は今まで見たこともないような豪華な弁当を作った。私はつまみ食いをしようとして、ばばたれ猫のように叱られた。

私の奥さんも気の弱い方ではないが、二人は適度な距離感を維持している。
昨日も、広島に嫁いだ妹から牡蠣を送ってきた。今朝、奥さんは歩いて数分のところに住んでいる母に届けた。織田信長が武田信玄に「洛中洛外図屏風」を贈ったのもこういう心境によるものか、と思う。いつか雌雄を決するときが来るのではないか。

「ごちそうさん」の小姑は、恐らく主人公の杏と和解するのだろうが、それでも一筋縄ではいかないだろう。これからもむかつきながら朝ドラをみることになろう。

なおこのブログのタイトルは当初「関西に息づく鬼婆の系譜」とするつもりだったが、身の危険を感じたので標題に改めた。



 
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