livedoorブログが聞いてくる。「ふなっしーとクマモン、どっちが好きですか?」。
君ら知らんのか、あれ、中に人間が入っとるんやで。
私はぬいぐるみやゆるキャラが大嫌いである。
かさばるし、暑苦しいし、動作がもっさりして見ているだけでも不愉快だ。
しかも、何かというと前にしゃしゃり出てくる。
イベントなどで見たいものがあって、身を乗り出していたら、ゆるキャラがせり出してくることがある。一応社会の一員なので、「じゃまや、どかんかい、粗大ごみ」と心無い言葉をかけるわけにはいかないが、実に鬱陶しい。

中に普通の人間が入っていると分かっているのに、そいつの人格を認めてやらなければならない。握手をしたり、手を振ったりしなければならない。
何が悲しゅうて、はりぼてによいしょしなければならないのか。

こういう風潮が始まったのは、ディズニーランドのミッキーさんからだと言われる。
テレビアニメで見るミッキーはネズミ並みの大きさのように見えるが、着ぐるみのミッキーさんは、曙のように大きい。でもそれを「かわいい」という決まりになっている。
中に時給何ぼの人が入っているのはわかっているのに、「それを言うたらあかん」のだそうだ。
ま、私がディズニーランドに行くことは無いから、別に文句を言う筋合いはないが。

テレビの着ぐるみキャラクターがいろいろなところに出かけ始めたのは、「開けポンキッキ」のガチャピン、ムックあたりが始まりではないか。
南の海に潜ったり、高い山に行ったり、アフリカで動物と戯れたり。
私はあれを見たとき「うまいこと考えよったな」と思った。着ぐるみは中に誰が入っているかわからない。航空小包で着ぐるみを送って、現地の人に着せてうろうろさせれば、ロケは一丁上がり。カメラクルーは必要だろうが、タレント要らずで安上がりだろうと思ったものだ。

そのころは、着ぐるみの数はそれほど多くなかった。プロ野球のマスコットがいた程度。試合の合間に飛んだり跳ねたりするのは、退屈した人には良い見ものだっただろう。私は小便に立つが。



地方自治体から、企業から、商品から、電車から、何から何まで着ぐるみがしゃしゃり出始めたのは、「ゆるキャラ」という言葉が生まれたころからだろう。何度か触れているが、これはみうらじゅんの命名だ。この人は別に褒めてこんな名前を付けたわけではなく「こんなん作ってどうすんねん」と嗤うニュアンスで命名したのだと思うが、なぜかこのネーミングになってから、猫も杓子も「ゆるキャラ」を作るようになった。

私は地方の商品開発や売り出しの仕事をすることがよくあるが、きまって「ゆるキャラを作りたい」という話が出てくる。
中には既に絵をかいていたりする。ご丁寧にプロフィールがあったり、家族がいたりする。そんなことを考える暇があれば、商品や売り方をしっかり考えなはれ、と言いたくなる。

とにかくデザインや造形などは全く素人の人々が「ゆるキャラを作りたい」とよく言う。なぜなら、今いるゆるキャラの多くも、およそプロが作ったとは思えない、いい加減な造形が多いからだ。
「あんなん私でも作れる」と誰しもが思う。実際に作れるのだ、そしてそれが下手をすると人気者になる。

ゆるキャラを禁止せよ、とは言わないが、あれは町おこしや、販促などの「おまけ」に過ぎない。あれをいくら売り出しても物は売れない。キャラクターグッズは売れるかもしれないが本末転倒もいいところだ。
行政もブームに乗ってゆるキャラの開発や売り出しに予算をつけているが、結局、そんなものいくつ作ったって、郷土には何も残らないだろう。

今年10月、天皇皇后両陛下が熊本県庁を訪れた時に、皇后陛下からくまもんに「くまモンはお一人なの」とご下問があったという。説明役の知事は、「子どもの夢を壊さないため、くまモンはくまモンです」と苦笑いしながら答えたという。

今どきの子どもが、あの張りぼての中におっさんが入っていることくらいわからないはずがない。「子どもの夢をこわす」というが、結局それはキャラクターの「商品価値を損なう」と置き換えるべき言葉なのだと思う。
そういう商売に、皇后様まで巻き込むとは、大げさに言えば不敬だと思う。

はりぼてがあたかも人間のようにふるまい、その言動がマスコミネタになる社会。いろいろなバランスが崩れている中で、一部に日本人の幼児化が進行していることの証左ではないかと思う。世界では通用しないことは知っておくべきだろう。

私は、今度どこかでゆるキャラにあったら「もう飯食うたんか」「シフトは?」「休憩は何時間にいっぺんや」「どこから通てるねん」と根掘り葉掘り聞いてみたいと思う。



 
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