昨日の五輪出場権がかかったフィギュアの日本選手権、固唾をのんでみていた人も多かったのではないか。
フィギュアスケートの競技人口はそれほど多くはない。しかし、日本にとってメダルが期待できる有望種目だから、素質に恵まれた子供は早くから英才教育を受ける。
今、メダル候補に挙がっている選手たちは、ほとんどが小学生のころからエリートとして特別の指導を受けてきた。エリート養成機関はそれほど多くはないから、彼らはみんな顔見知りだ。ライバルではあるが、同じ境遇にるという仲間意識も強い。兄弟のように仲が良いと言われる。

そんな若者たちが、わずか3つの指定席を巡って熾烈な争いをする。
これは毎度のことではあるが、今年は男子の髙橋大輔、織田信成、小塚崇彦、女子の浅田真央、鈴木明子、安藤美姫が、この五輪を最後に引退をすると思われるだけに、とりわけ注目を集めた。
私たちは、来年の2月には生命を終える「美しい生き物たち」の行く末を見る思いで、今回の日本選手権を見ていたのだと思う。

男子は羽生という新星が現れて、あっという間に先輩たちを追い抜いた。それまで希望の星だった町田樹も順調にポイントを伸ばした。

しかしここまで男子フィギュア勢を引っ張ってきた「総大将」だった高橋大輔は腰の故障に続いて膝の故障を押しての出場であり、万全の調子からは程遠かった。そして途中で手を負傷し出血。悲惨な顔で競技を終えた。
インタビューで高橋は、悔やんでも悔やみきれない胸の内を吐露し、男泣きに泣いた。
フィギュア男子の涙と言えば「鳴かぬなら私が泣こうほととぎす」の織田信成の専売特許のようだが、この日の高橋の涙の切なさは、赤の他人の私にも切々と伝わった。彼は自分の不運を受け入れようと努力していた。
この時点では、フィギュアの代表は羽生、町田、そしてこの大会で3位に入った小塚崇彦で決まりと思われた。

しかし、翌日の代表選考発表では高橋が選ばれた。
この五輪から導入された「団体」を勝ち抜くためには、リーダーシップのある選手が必要だという判断がされたのだろう。
一転、高橋は喜びに顔をほころばせた。しかし彼に敗れた小塚はフィギュアの有名選手を父に持つエリートであり、高橋、織田、浅田らとともに兄弟のように育ってきた「仲間」だった。年齢的に彼も今回が最後のチャンスだったと思われる。淡々と落選の思いを語っていたが、彼の無念も察するにに余りある。

女子の選考も厳しいものだった。すでに前の五輪からエースとなった浅田真央は当確。残る二つの椅子を巡って、鈴木明子、村上佳菜子、安藤美姫らがしのぎを削った。

誤解を招くかもしれないが、フィギュアスケートという競技は、どんなに技術が高くても、それだけでは及ばない領域があると思う。日本で最初にメダル級の活躍をした女子フィギュアスケーターは伊藤みどりだが、彼女は競技以前の段階で、他国の選手に明らかにハンデがあると思われた。
手足が短く、昭和の日本人そのものという四肢をどのように動かそうとも、西洋人の優雅な動きには及ばない。そう感じさせたものだ。
伊藤は銅メダルで終わったが、その後に出てきた日本人選手はみんな「未知との遭遇」の宇宙人を思わせるような細長い体型だった。顔もうりざね顔で見栄えの良い選手が多くなった。

そんな中で、鈴木明子はありていに言えば「見劣り」がした。顔が大きくて手足が短い。因果なことに私は悪口のボキャブラリーが多いのだが、彼女の顔は「だるま落としのだるま」みたいだと思った。
鈴木の売りは「表現力の豊かさ」だが、それは裏返せば「容姿ではない」ということだと思った。

しかし昨夜の鈴木は違った。スピード感豊かで、すばらしく切れが良かった。荒川静香の表現力を「優雅」だとすると、鈴木のそれは「華麗」そのものだった。
演技が終わった瞬間、鈴木明子の顔がぱっと輝いた。テレビを見ていたうちの奥さんの目が真っ赤になった。彼女はテレビを見てすぐ泣くので私はいつも「安い涙や」と憎まれ口をたたいているのだが、このときは私も泣きそうになった。
28歳、最年長の彼女は、自分のハンデも十分に知っていたはずだ。それでも自分を信じて練磨を重ね、最後の冬に開花させた。その喜びが、全身にみなぎっていた。私は彼女をまぶしく思い、美しいと感じ、自分の不明を恥じた。

鈴木に引っ張られるように不調をかこっていた村上佳菜子も素晴らしい演技をした。



すでに五輪の切符を握っていた浅田は冴えなかったが、こういう形で女子の3人が決まった。
すでに“お母さん”の体型になっていた安藤は、恐らくは自分にけじめをつけるために滑ったのだろう。

メディアが脚色する必要は全くなかった。彼ら、彼女らは自らの道をひたむきに歩んだ。その運命の糸がより合わせれて、素晴らしく華やかで切ないドラマになったのだ。

韓国の人のように、私は何が何でも金メダルを取ってほしいとは思わない。しかし、こんなドラマの果てに五輪出場権を得た6人の若者たちには、悔いなく競技を終えてほしいと思う。
彼ら、彼女らにとって人生のハイライトとになるような瞬間が訪れるのなら、それを私もともに喜びたいと思う。



 
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