総理大臣の靖国神社参拝問題ほど、無意味な騒動はないのではないかと思う。
安倍晋三総理は総理大臣就任から1年がたった12月26日午前、東京・九段の靖国神社に参拝した。

安倍総理は、参拝のあと記者団に対し「日本のために尊い命を犠牲にされたご英霊に対して、尊崇の念を表し、不戦の誓いを新たにした」と述べるとともに「もとより韓国、中国の人々の気持ちを傷つけるつもりは毛頭ない。母を残し、愛する妻や子を残し、戦争で散った英霊のご冥福をお祈りし、リーダーとして手を合わせるのは、世界共通のリーダーの姿勢ではないか。それ以外のなにものでもないと理解していただく努力を続けていく」と述べ、理解を得るための努力を重ねていく考えを示した。

理解を求めるってどうやって?と思ってしまう。

総理大臣の靖国神社参拝問題は、「リセットボタン」のようなものだ。いかなる時であれ、どんな理由があれ、どんな総理が参拝しようと、中国、韓国は「我が国の人々の心を傷つけた」「日本は反省をしていない」と判で押したように言うのである。
そして、その時の日韓、日中関係がどのようなものであれ、それをリセットしてしまうのだ。
そこには理屈も、大義名分もない。
中国、韓国は「靖国神社に参詣するな」と言っている。日本がどのような理屈をこねても参拝することは、「中国、韓国の神経を逆なでした」結果にしかならない。

新藤総務大臣は「総理大臣といえども個人の私的行為であり、心の自由の問題なので、総理大臣がそう判断したのであれば、それを受け止める。いつ、どのようなときであっても、自由に、自分の気持ちにしたがって参拝されればいいと思う」
と述べたが、総理の心中などどうでもよいことなのだ。これは単に「リセットボタン」を押すことなのだから。

私が理解に苦しむのは、「靖国神社に参ることで、何のメリットがあるのか」ということだ。
安部総理が靖国に参拝して喜ぶのは、一部の復古主義者、大日本帝国趣味の会の面々だけだ。一方でこれを「戦前への回帰だ」「軍国主義の前触れだ」と言う人もそれほど多くはないのだが、要するに靖国神社に参ったからと言って、安倍氏の人気が上がることもあり得ないのだ。
多くの人々は「総理大臣が靖国神社に参ること」を何とも思っていない。関心がない。ただ、それで余計な波風が立つのは勘弁してくれと思っている。

安倍氏に軍国趣味があるのかどうかわからないが、個人の趣味の問題で、一国の外交関係を大きく変化させるのは、あまりにも剣呑だ。



安部総理の「日本のために尊い命を犠牲にされたご英霊に対して、尊崇の念を表し、不戦の誓いを新たにした」と言う言葉には、一片の「気持ち」も入っていない。芝居の口上のような形式じみた言葉だ。誰にも反論はできない代わりに、誰も説得することができない。

「心の自由の問題」なのなら、黙って目立たぬようにやればいいのだ。総理官邸でも、自分の家の居間でも、どこでも目立たぬように柏手を打てばいいのだ。

yasukuni2013


アメリカも困惑しきっている。日本が中国や韓国の言う「歴史認識に基づいた反省」をする可能性が皆無なのと同様に、中韓が総理が靖国神社に参拝することを容認する可能性もまた皆無なのだ。
中韓の頑迷も相当なものだが、日本までもが意地の張り合いに参戦してどうするのだ、と言うことだろう。

政治家が現実ではなく、思想信条に基づいて政治をするとろくなことがないのは歴史が証明している。
どっちを向いているのか知らないが、正気に戻っていただきたい。
中韓に「勝つ」とは、「先に現実主義者になる」ことに他ならないのだ。



 
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