私くらいの年ごろになると「揚げ物はちょっと」という感じにはなってくる。しかし「かつ」という言葉には、そぞろに胸の内騒ぐ感じがある。
少し前まで大阪、船場に「幸福堂」というとんかつ屋があった。ベーブ・ルースみたいな親父が、指先を油に突っ込んでかつを揚げていた。
レギュラーでも凄まじく大きかったが、ダブルになると煉瓦ほどの厚みがあった。キャベツの横にどーんと置かれたとんかつを、ご飯片手にわしわしと食べていくのだ。
30歳頃に古馴染みのカメラマンに教えてもらった。まだ十分な食欲がある年台だったが、ダブルは食べると次の日まで「残る」感じがあった。
小さな店だったが、各地から猛者が集まってきていたようで、道場の様だった。
巨大なかつと、ごはん(ふりかけかけ放題)、アツアツの味噌汁の取り合わせがたまらなかった。

親方が亡くなったのだろう。一度閉店したが、今度は息子と思しき若者と、おかみさんで再開した。味は変わらなかったのだが、息子がとにかく機嫌が悪くて、母親に当たり散らした。しばらくして奥さんらしい人が手伝うようになったが、彼女にも荒い声をかけた。息子の不機嫌がひしひしと客にまで伝わった。
元はカウンター席で、客は厨房をのぞきながら食べていたのだが、息子はそれが嫌だったのか、客席の向きを壁むきに変えた。
客にもたびたび「話かけんといて」とか「うるさいこというのなら帰ってくれ」などと言うようになった。

私はそれでも揚げたてのかつの美味しさに惹かれて、通っていたが、3年ほど前に閉店してしまった。店の様子は今でも食べログで見ることができる。

「幸福堂」 

「かつ」という食べ物は、何か格闘技に立ち向かうような勇壮の気を抱かせる。
私が名古屋と聞いて真っ先に思い浮かべるのが「やばとん」のとんかつだ。
名古屋の人には定番すぎて陳腐かもしれないが、私はこれを食べないと名古屋に来た気がしない。

鉄板にキャベツを敷いてその上にアツアツのかつをのせて、名古屋独特の八丁味噌仕立の甘いたれをかけて食べる。

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昔、大きな鉄板の上にカツを乗せて、お好み焼きのように食べた覚えがあるのだが、今はどうなっているのか。

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甘いたれがご飯と実によく合う。キャベツが熱でしなっとなって、これもご飯にぴったりだ。
名古屋飯は関西人と相性が良い。私は大好きだが、「やばとん」は中でも別格だ。

先日、仕事で和歌山に行った。
有田市の小さな駅が最寄だったが、この駅前に「まるみや食堂」という小さな食堂があった。
最近のネットは大したもので「ビフカツが名物らしい」と言う情報を得たので、さっそく頼むことにした。
出てきたのは、皿一杯に載ったビフカツ。

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サーロインステーキをそのまま揚げたような感じだ。中までしっかり火が通って、衣はやや硬かったが、甘口のソースとしっかり合ってなかなかそそる味だった。
横にちらっと見えているのはご飯だが、どんぶり鉢に山盛りである。これで「並み」。
ご飯に非常によく合ったので、山盛のどんぶり飯ともども完食してしまった。

厨房から出てくる料理は、みんな目を見張らんばかりに巨大だった。

はじめて頼んだと思しき人が、「みんなこれを残さず食べているのか」と店の人に聞いていた。

「みんな残さんと食べてるよ」とおばさんが答えていた。周囲はミカン農家。肉体労働の後は、これくらいは食べるのだろう。

洒落ではないが、かつを食べると言うのは、体に「喝」を入れることだと思う。自堕落な生活をしている人間に、「食欲」と言う動物の根源的な欲求を思い出させる食べ物だ。

かつを残すのは、食欲様に申し訳ない。今後も完食できるように、精進しようと思う。


 
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