昨日、四天王寺さんに行ってきた。境内にある元三大師堂で、ことし受験の娘の合格祈願をしてきたのだ。
四天王寺の境内の北側、広い墓地の中に元三大師堂はある。正面に茅の輪があり、参詣者はこれをくぐる。

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二人の子どもの合格祈願はずっとここでやっているから、名前を書くと「いつもありがとうございます」と言われた。18日、まさにセンター試験の日に護摩を焚いて御祈祷してくれるのだ。

「大師」という名前は僧侶の最高位だが、「諡号(しごう=贈り名)」であり、没後に贈られる名前だ。
だから空海に
「弘法大師様!」と呼びかけても返事はしないだろう。
大師は弘法大師空海、伝教大師最澄など日本には25人いるが、最も不思議な大師は元三大師だろう。
この大師は法号を良源と言うが、そもそも「元三大師」と言う名前が正式ではない。慈慧大師というのが正しい名前だが、1月3日に逝去したから「元三」という。
死んだ日の名前で呼ばれる人物と言うのもこの人だけだろう。
当然ながら自分が「元三大師」と呼ばれていることも当人は知らない。

元三大師良源は10世紀半ば、近江の国虎姫の生まれ。藤原道長や紫式部の父、祖父にあたる時代の人。
今、生地には玉泉寺と言う立派なお寺が立っている。境内には産湯をつかった井戸もあるが、建物と言い境内と言い、人を寄せ付けない不思議な空気が漂っている。

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長じて比叡山に上がって僧侶となった。当時の比叡山は火災で堂宇が焼けて衰亡の極みにあった。良源は身分は低かったのだが、学識でも弁舌でも飛びぬけており、他宗派との宗論でも次々と論破して頭角を現した。
そして朝廷で権力を獲得しつつあった藤原氏の信頼を得て、比叡山を立て直したのだ。
抜群に頭が良かったと言うことで、「学問成就」の御利益があるとされるようになった。

この話だけなら単なる「高僧」だが、良源には不思議な話がついて回った。

あるとき良源に仕える僧侶が、障子越しに良源の姿を見たところ、全身真っ黒で頭には太い角が生えていたと言う。
鬼になって疫病神と追い払うために姿を変えたと言われるが、その時の姿が「角大師」という名前でお札になっている。関西の人は見たことがあるのではないか。

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また良源は「おみくじ」を考案したとも言われている。
藤原貴族や皇族の人々が悩み事を相談しに来ると、良源は「おみくじ」を引かせたと言われている。

良源は比叡山延暦寺の中興の祖と言われるが、自身は延暦寺の中心部の東塔ではなく、北にはずれた横川に自坊を構えた。この堂宇も元三大師堂と言われる。

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元三大師堂は全国にある。私はかなりの数を回っているが、どこへ行っても人の気は少なく、閑散としている。
角大師のお札が貼ってあったりして、どことなく不気味な感じもする。

品行方正な学徒として知られた伝教大師最澄の系譜としては異色の存在だが、良源は超能力者の走りのような僧侶でもある。
超能力を少し頂いて、娘の受験を成就させていただきたいものだ。


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