森岡浩さんの苗字の本が良く売れているようだ。この方は私とほぼ同年代だが、ずっと昔から気になっていた。
森岡さんは、各分野の『人名事典』を作ることに情熱を燃やしておられるようで、『甲子園・高校野球人名事典』『プロ野球人名事典』など野球史から『戦国大名化事典』など歴史系まで。
私などと比較するのは失礼だが、興味の対象が良く似ている。筋金入りだと思う。



私が家系や人物の経歴に興味を持ったのは小学校5年の時に、「平家物語」の対訳本を読んだのがきっかけだ。
この中に「源氏揃」という章がある。源頼政が高倉宮(以仁王)に、平家打倒の旗印になるように持ちかける段。
頼政は「あなたが決起してくだされば、こんなに多くの源氏の仲間が集まるでしょう、と言って源氏の武将の名前をつらつらと並べるのだ。
少し長いが引用する

「先づ京都には出羽の前司光信が子ども、伊賀の守光基、出羽の判官光長、出羽の蔵人光重、あふみの国には、山本、柏木、錦織。美濃尾張には、山田の次郎重広、河辺の太郎重直、泉の太郎重光、浦野の四郎重遠、安食の次郎重頼、その子の太郎重資し、木田の三郎重長、開田の判官は代重国、矢島の先生重高、その子の太郎重行。甲斐の国には、逸見の冠者義清、その子の太郎清光、武田の太郎信義、加賀美の次郎遠光、同じき小次郎長清、一条の次郎忠頼、板垣の三郎兼信、逸見の兵衛有義、武田の五郎信光、安田の三郎義定。信濃の国には、大内太郎維義、岡田の冠者親義、平賀の冠者盛義、その子の四郎義信、故帯刀の先生義賢が次男、木曽の冠者義仲。伊豆の国には流人前の右兵衛の佐頼朝。常陸の国には、信太の三郎先生義教、佐竹の冠者正義、その子の太郎忠義、三郎義宗、四郎高義、五郎義季、陸奥国には故右馬頭義朝が末子、九郎冠者義経、これ皆六孫王の御苗裔、多田の新発意満仲が後胤なり」

浪曲や講談の道中付みたいに朗々と口に出して読むとなかなかいい感じだ。これらの武将は、すべて最後に出てくる多田の新発意満仲(ただのしんぼちまんじゅう)の子孫だと言っている。
多田の新発意満仲とは源満仲(みなもとのみつなか)のこと。攝津多田郷(今の兵庫県川西市)を所領とした。新発意とは、新たに発心して仏門に入ること。もとは「みつなか」だったのだが、仏門に入って「まんじゅう」と読みを変えたのだ。
多田の満仲の名前は夏目漱石の「坊っちゃん」にも出てくる。おそらく日本人の3割くらいはこの人の末裔と言うことになろう。
源満仲は、藤原道長の忠実な下僕で、摂関政治のおこぼれをいただいて蓄財に励んだ。この巨大な富を背景として、曾孫の八幡太郎義家は武士の棟梁となり、その四代の孫の源頼朝の武家政権へとつながるのだ。
高野山の奥の院の前に広がる墓地に源満仲の墓はある。高野山で名前がわかっている最古の墓だと言われている。

私はこの「源氏揃」に出てくる武将を一人一人調べて、リストを作ったりしていたのだ。まさにヲタクだ。

そういう縁で小学生のころから「平家物語」に親しんだのだが、この物語は悲劇であり、数えきれないほどの「死」が描かれている。物語としては陰気くさくて、それほど好きに離れなかった。





しかし最近になって、吉村昭が「平家物語」を現代語訳していることを知った。早速アマゾンで取り寄せて読んでみた。
吉村昭の鋭利な刃物のような文章で仕立て直された「平家物語」は、さらに冷徹な物語になっていた。
この作家は若いころに肉親の死に別れ、自身も大病で死の淵をさまよっただけに「死」に対して非常に敏感だ。

「人が死ぬ」という厳然たる事実をありのままに、リアルに描く。一歩間違えば悪趣味になりそうだが、それを素晴らしい筆の冴えで「文学」に昇華させている。

そうした吉村昭の「死の美学」は、「平家物語」の現代語訳でも生きている。武将の戦死や処刑、自殺などが一つ一つ丹念に描かれているが、全体を読み通せばそうした「死」の総体が絢爛豪華な物語となっている。

「こんな物語だったのか」と私は改めて「平家物語」の魅力に触れた思いがした。
では私のお気に入りだった「源氏揃」はどのように描かれているのか。
何と吉村昭はこの章をバッサリとカットしているのだった。まさにこれも筆の冴え。

はじめて「平家物語」を読む人にもお勧めだ。


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