FB仲間の上田龍さんが、黒澤明の「七人の侍」をまだ見ていない人は幸せだと言った。同感だ。魂が震えるような感動を、今から味わうことができるのだから。
今年は「七人の侍」が作られて60年に当たる。
わずか60年ではあるが、日本はずいぶん変わってしまった。そして日本人も大きく変わってしまった。

今は失脚した佐野眞一は、数々のスキャンダルをスキャンダラスに暴きたてた。それは、この作家が言う「耳の勃起」を求めてのリピドーではあった。
しかし、同時に、佐野は「日本人はいったいいつごろからこんなに劣化してしまったのか」という問いかけへの答えを求めて、ドキュメントを書き続けていた。



佐野はライフワークとして、民俗学者宮本常一の足跡をたどるドキュメントも書き続けていた。宮本は渋沢敬三が興したアチックミューゼアムに属し、日本全国を渉猟して日本人の生活を記録にとどめた。
戦前から80年代までのその記録をたどると、日本社会が劇的に変化していったことが分かる。
いわゆる高度経済成長で日本の姿、形が大きく変わる中で、人々のライフスタイルも変貌した。そして「日本人の劣化」はこの過程で進行したのだ。



黒澤明は、戦前に映画作りをはじめ、経済成長がピークに達した時期にキャリアを終えている。
それは宮本常一の長い研究の旅路とほぼ重なっている。
そのフィルムには、日本人が劣化していく過程が、黒澤ならではの骨太の筆致で描かれているとも考えることができる。

黒澤明は理想形として「昔の日本人」を骨太に描くとともに、その対照として「新しい日本人」を明確に描いて見せた。

「な、昔の日本人は、偉かっただろ?」

黒澤は、映画を作りながらこの言葉を常に発し続けたように思う。
作品を通して、このメッセージはある時期までの日本人の心を強く打ち続けた。

黒澤映画の感動は、常にある種の「教訓」「戒め」「内省」を伴うものだったが、これは黒澤が自らの価値観をはっきりと前面に打ち出し、それを伝える手段として「映画」を作ったからだろう。

しかしそうした黒澤のメッセージはある時期から伝わりにくくなる。観客である日本人そのものが変質し、黒澤の価値観を共有しなくなったからである。

黒澤の考え方や感性は次第に日本人一般のそれから遊離した。また、黒澤を取り巻く映画界も変質し、黒澤は「巨匠」という名を冠せられるとともに、敬遠される存在となった。

1971年末の自殺騒ぎは、そうした黒澤の孤独感と絶望を象徴する出来事だった。

以後の黒澤映画の評価は意見が分かれるところだ。それは、社会がさらに変化したからでもあるし、映画の制作環境も変化したからだ。
しかし同時に、黒澤明自身も「変質」あるいは「劣化」したとみることもできなくはない。

日本や日本人の変化、変質を背景として、黒澤明はどんな映画をどんな意図で作り続けたのか。

映画論は素人だが、不定期で、私なりの「黒澤明」について論じていきたい。


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