小さな寺町だが、気に入っている。伊賀と言う街そのものに愛着があるからでもあるが。
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伊賀上野駅から伊賀電鉄伊賀線で一駅。住宅が立て込む中を行くと、広小路駅。この周辺には、伊賀上野のお城に勤仕する侍たちの屋敷があった。
今もその頃の建物がいくつか残る。中には、大昔の風呂屋があった。建物は真っ黒で暗く、店の前に巻きを山と積んでいたが、今どうなっただろうか。

伊賀には上野城と言う立派なお城があるが、厳密には城下町とは言えない。上野城は津の藤堂藩の支城であり、伊賀一国は代官が支配していた。
余談ながら伊賀の西南部を占める名張には、藤堂のお殿様の分家があったが、18世紀中ごろの投手は独立運動をして本家から隠居を命ぜられ、家老が3人切腹している。それ以来、名張は上野城の代官の管理下に置かれた。いわゆる享保騒動だ。
私はこの町に20年ほど通っていた。上野と名張の人は、未だにそのことを口にして互いに反目している。会議の際も「お前の方がこちらへ来い」の応酬があった。平成の大合併の際も名張市は上野と一緒にならなかった。
我が土地に対し非常に愛着とこだわりがある国がらなのだ。

さて、上野の寺町は広小路駅から南にある。

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お寺の数はわずか7か寺、30分もあれば回ることができるが、武家屋敷から続く黒い瓦屋根の連続によくなじんで、何とも言えず懐かしい。

■上行寺
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一番北にある上行寺は、「南無妙法蓮華経」と題目が彫られた碑があることで分かるように日蓮宗。歴代の藤堂家の藩主の墓がある。

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このお寺は藩祖藤堂高虎の異動に伴って、紀州粉河、伊予今治を経てこの地に収まった。典型的な藩主の菩提寺。日蓮宗の寺は簡素なものが多く、それほど立派ではない。

■妙典寺

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向かいには赤門の妙典寺。やはり「南無妙法蓮華経」と題目が彫られた碑があるが、こちらは本門佛立宗。日蓮宗からわかれた宗派。この宗派のお寺は新しいものが多いが、この寺は上行寺と同様、藤堂高虎の異動に伴って伊予今治をからこの地に収まった。

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どこの地方でも殿さまゆかりのお寺は、通常一つや二つではなく、かなりの数に上る。いろいろな宗派にまたがっている。寺院勢力を懐柔するための方策でもあっただろう。

■妙昌寺

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妙典寺の南向かいの妙昌寺は、鬼子母神で知られる。この寺も「南無妙法蓮華経」と彫られた石碑があるがこちらは法華宗(本門流)。日蓮宗の分派だが宗派が違う。

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ちなみに日蓮の流れをくむ宗派の寺院は「妙」の字が付くことが多い(京都の妙心寺は禅宗の臨済宗だが)。

■萬福寺

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妙昌寺の南隣は萬福寺。長谷寺の系統の真言宗豊山派に属する。平清盛が建て、往時は大寺院だったと言う。鍵屋の辻」で有名な河合又五郎の墓もある。上野山という山号が示す通り、最も由緒ある寺のようだが、江戸期にはあまりふるわなかったようだ。

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真言宗のお寺は日蓮宗系よりも柔らかい印象。裳越のついた寄棟の本堂も古風だが、優しい風情。

■善福院

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萬福寺の向い、奥まったところにある善福院も真言宗豊山派。
この寺は平清盛の長男、平重盛が建てたという言い伝えがある。萬福寺と何らかの関係があったようだ。江戸期以降は町人の寺になったようで境内を自由に通り抜けする人がいたため「通り抜け寺」と呼ばれた。

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幕末の天保年間に奉納された扁額は中々面白いデザイン。当時の伊賀の町人のセンスだ。
ちなみに「院」とつくお寺は「寺」よりも小規模な場合が多い。知恩院のような例外はあるが、もともと「院」は「寺」のセカンドネームだったからではないか。

■念佛寺

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萬福寺の南には念佛寺。その名の通り浄土宗。この寺は、伊賀で創設された。もとは伊賀国の浄土宗の拠点寺院だった。

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境内にある重厚な作りの六角堂は、この寺院が勢力を有していたことを表している。上行寺など日蓮宗系の寺では流れている空気が全然違うように思う。

■大超寺

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念佛寺の向いは、やはり浄土宗の大超寺。このお寺も伊予今治から藤堂氏とともに移ってきた。この寺も藤堂氏の菩提寺だ。
山門の形が少し違う。門の屋根にまるで上唇のようなカーブのかかった庇上のものがついている。これを「唐破風」と言う。江戸時代初期から中期に流行したデザイン。特に徳川政権が好んだようで、諸大名も真似をした。
この山門は藤堂氏ゆかりの格式ある寺であることを表している。

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本堂の屋根についているお獅子も立派だ。

■観音寺

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上野寺町と言えばこの7か寺だが、実はこのエリアには目立たないがもう一つお寺がある。寺町の南、伊賀線の踏切の近くの薬師寺。
お寺は山門を見れば、その格式が分かる。簡素な山門、小さな本堂。このお寺は歴史もつまびらかではないが、恐らくは庶民の寺だったのだろう。あるいは尼寺だったのかもしれない。

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寺町のお寺に比べれば、ささやかだが、このお寺もひっそりと息づいているのだ。

寺町通りの東隣には、黒澤明が京都からタクシーを飛ばして通ったというすき焼きの「金谷」がある。間口は狭いが、建て増しに次ぐ建て増しで、迷宮のように細長い日本家屋。波打った畳の座敷で、四角く切られた肉を食す。刺しの入った赤身は口に吸いついてくるような食感。あっさりしているからついつい食が進む。

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伊賀上野は食べ物がおいしく、コーヒーもおいしい。人々がわが街を愛しているからだと思う。


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