自分では好奇心が強いと思っていたのだが、いつの頃からか同じ店で決まったものばかり食べるようになった。
「古い店がええねん」はまさに、そういう私の習性について書いているのだが。
siumai01


昨日、横浜スタジアムでは巨人が優勝するのを見てしまう不運なめぐりあわせになったが、焼売弁当とビールはそういう苦々しい経験の穴埋めをして余りある幸せをもたらしてくれた。

「ホームラン、あべしんのすーけ」とか「ぜったい勝つぞ、ジャイアンツ」とかいう禍々しい声が耳に入っても、辛子をなすくった焼売を口に含み、プラスチックのコップのビールで口を湿すとその美味しさで、目の前の暗雲が晴れるような気がした。


焼売の数を「あといくつ」と数えながら、俵型に区切られたごはんとの配分を考える楽しさ。
最後に残る杏子(チュイールのようだ)を食べる楽しみをイメージしつつ箸を進めるのだ。
経木でできた折にご飯がくっつくのが残念だが、それを箸で一粒一粒取るのさえ楽しい。

横浜近辺の崎陽軒の売店には、焼売弁当だけでなく様々なバリエーションの弁当も並んでいる。中には美味しそうな中華が加わっている豪華な弁当もあるが、そういうのは全然嬉しくない。

自分が食べたい弁当は、いつも同じ味がしてほしい。一つと言えど違う味であっては困る。

今、ここまで定番がうれしい弁当は少なくなってしまった。

hakkaku


関西では水了軒「八角弁当」という定番弁当があった。そもそも日本の駅弁は、黄檗宗の普茶料理の流れをくむと言われる。野菜を甘辛く炊いたものが基本。駅弁は精進料理ではないから、これに肉や魚や練り物が付くが、味付けは基本的に甘辛く、あまり香りは強くない。
そうした味付けは、酒やビールにもよく、ご飯にもよい。

「八角弁当」には、私には「あまり好きではないもの」も入っていた。ウニを塗って焼いたイカや、ゴボウやソラマメの炊いた奴などだ。
私は「八角弁当」を開けるとまず、それらをつまんでビールのあてにした。
ビールの一口目、二口目は、つまみがなくても十分においしい。そのおいしさに紛らわせて、「気に入らないもの」を口に運んでいたのだ。
「八角弁当」の花形はアナゴの八幡巻、卵焼き、上品に炊かれた高野豆腐、昆布巻き、カシワの焼き物などの関西の味だ。
それらとともに食べる冷たいご飯のおいしさを考えながら、まずは「好きでない」ものを消化していく。
楽しい春が来るのを励みに受験勉強をするようなものだ。

クルマエビの炊いたんは、殻がついていてむかなければならない。だから、「八角弁当」を食べるとしばらくは指の先にエビの匂いが残った。それも良かった。

「八角弁当」は10年ほど前に一度廃盤になった。最近は復刻盤が出たようだが、私は食べていない。でも、私は今でも、この弁当のおかずの一つ一つの味を思い出すことができる。

「好きでないもの」「大好きなもの」を一緒に食べる楽しさを頭の中で再演することができる。
要するに「定番」とは、完全にインプリントされた味、と言っても良いかもしれない。

ただ、品質が良いことは前提条件だ。「八角弁当」の味付けの良さ、上品さはコンビニ弁当などとは別物だ。
「焼売弁当」もかまぼこの歯ごたえの良さ、唐揚げの味の良さなど一つ一つが上質だから、全体としてもおいしい。紅生姜と昆布の佃煮がいっしょくたに入っているのもこの弁当の特徴だが、ご飯と妙によく合うのだ。

実は「焼売弁当」にも「あまり好きでないもの」がある。甘辛く炊いた筍だ。これは、弁当のボリュームアップのために入っているとしか思えないが、焼売を食べる「栄光の日」を思い浮かべながら筍をつまむのもまた楽しいものだ。

横浜からの岐路、やはり私は800円の焼売弁当を買った。2日連続だ。そして「のぞみ」のシートで筍の切れ端でビールを飲み、焼売や鶏のから揚げでご飯を食べて、非常に満足したところだ。

新しいもの、食べたことのないものを食べる喜びも素晴らしいと思うが、何十回、何百回と食べて、なおも食べたいと思うものがあるのも、幸せなことではないかと思う。

私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひ、コメントもお寄せください!


好評発売中、アマゾンでも




広尾晃 野球記録の本、アマゾンでも販売しています。