土曜日、私は独立リーグのグランドチャンピオンシップを観戦した。当初、日曜日も見るつもりだったが、台風が接近しているので急きょ関西に帰ることにした。
関西への便は、実質的にバスしかない。大阪なんばまで3時間足らず、気軽な旅である。
バスターミナルの待合室で待っていたら、キャスター付のバッグを引いた中年の女性が私の正面の席に座った。

待合室には数人の客、そして職員と運転手がいた。
私はスマホで自分のサイトを確認していたのだが、突然、向かいの女性が、目をハンカチで覆い、膝に顔をうずめて泣き始めた。
激しい嗚咽ではなかったが、彼女は静かな声を上げながら延々と泣いた。

彼女は色物のシャツを身に着けていたが、黒いジャケットを着ていた。ピンヒールの靴も黒かった。

恐らくは、親しい親族、親か、兄弟の葬儀に参列したのだろう。
日曜日に慌ただしく帰っているのを見ても、別離の時間はあまり長くなかったのかもしれない。
恐らくは他の地方で働いていて、危篤の報、あるいは訃報を聞いて駆け付けたのだろう。

私にも経験があるが、臨終から葬儀までの日程を、遺族は茫然自失のままで過ごす。葬儀屋が手慣れた風に、遺体の処置から葬儀の手配、会葬者への対応までをさばいてくれる。
流れるような一連の動きの中で、少し前まで生きていた人は、あっという間に「故人」になり、肉体や、肉声や、在りし日の面影など、生きていた証はみるみる失われる。

昔の葬儀は「もがり」といって、愛する人の死をなかなか受け止められない生者のために、ある程度の時間を置くのが常だった。
その間に遺る人は、逝く人のことを惜しみ、悲しみ、そして諦めていく。
死のことを「幽明界を異にする」というが、生と死を分かつには、そうしたグレーな時間が必要だったのだ。

しかし今は、「死」も行政や社会の一定のルールの中で、ベルトコンベアに乗るようにして流れていく。

遺族はその流れに乗って、自らの感情を吐露する暇もなく「死」の手続きをしていくのだ。

「死」にまつわるすべての「業務」が終わって、彼女は一人帰途につき、そこではじめて「寂寥感」「無常感」に捉われたのだろう。

不謹慎な言い方をするが、彼女の控えめな「悲しみの表現」を私は「美しい」と感じた。胸に何かしらの優しい感情が起きた。

恐らく居合わせた人々も、同じような感慨を抱いたのだろう。談笑をやめて、みんなが押し黙った。
そして彼女を気遣うような空気が流れた。

その空気は5分くらいで破れた。
若い女性のグループが笑いさざめきながら待合室に入ってきたのだ。

黒いジャケットの女性は泣き止んで、メイクを直すためにトイレに立った。

再び日曜午前中のゆるい空気が待合室に流れた。

私は何か得難い経験をしたように思った。そして「惻隠の情」とはこういうことを言うのだと思った。


私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひコメントもお寄せください!



広尾晃、3冊目の本が出ました。