在日特権を許さない市民の会=在特会は、歴史的経緯によって特例的に認められてきた在日韓国人、朝鮮人に対する権利、処遇を「逆差別的」と断じ、そうした特権の撤廃、および「在日」というステイタスの廃止を求める団体、ということになっている。

その主張はシンプルだ。
在日特権を撤廃するとともに、彼らがこれ以上「差別」を振り回して権利を要求することを阻止する。
そして日本国民に、今まで在日朝鮮人、韓国人がいかに優遇されてきたか、その特権を利用して韓国や北朝鮮に送金するなど、いかに日本の国益に反した行動をしていたかを喧伝する。

日本だけではないだろうが、国の被差別民に対する補償、支援はさまざまな利権や不正を生みがちだ。
国の側に確たる方針が無くて腰が引けている場合は、利権を食い物にする輩に良いようにやられる。
大阪に芦原病院と言う医療機関がある。ここには70年に地域が同和対策地区に指定されると、150億もの補助金がつぎ込まれた。その大半がヤミ融資となって同和関係の企業や裏社会に流れた。
その挙句に経営破たん。当時の關純一市長の辞職の一因ともなった。
行政の無責任と、悪辣な利権屋がからめば、巨額の公金が裏社会に流れるのだ。

在日系でいえば、朝銀信用組合(現ミレ信組)をめぐる不祥事、朝鮮総連をめぐる無数のスキャンダルなど、枚挙にいとまがない。

在特会の言っていることは、その部分だけを取れば間違っていないかもしれない。

しかし、日本が在日の人々に補償、支援を行ったのは戦後になってからである。1910年から45年までの植民地時代に、日本人は植民地の人々を差別した。
蔑称で呼び、日本姓を名乗らせ、彼らの文化を凌辱した。
「遅れていた朝鮮を近代化したのは日本だ」という主張があるが、当時の日本人は他の帝国主義の国と同様、植民地のために近代化を進めたわけではない。自分たちの経済発展に利用するためにそうしただけだ。
昔、妾を蓄えた男が、妾の子を学校に行かせたことをさも善行を施したように言うことがあったが、子どもが屈辱を感じたのは想像に難くない。
昔の日本は、それと同様だ。
「いいことをした」と言う人は、己の欲望のためになしたことを、さも恩着せがましくいっているのだ。

戦後になって、日本はそういう人たちに補償をするとともに、植民地時代や戦後になって日本にやってきた朝鮮人、韓国人に「在日」という特別の身分を与えた。
これは、出自は半島にあっても、日本での生活が長くて帰郷が困難な人、経済的に日本に依拠している人に対して、その居住権を保証する現実的な措置だったと言って良い。
韓国は民主化が遅れたために、日本以上に差別が根深く残っている。在日の人々もそうした差別の対象になる。帰りたくても帰れない人がいるのだ。
ただ、この部分でも日本政府は確たる方針を持っていなかったから、一部の人間に特権的な利権を与えたのも事実だ。

しかし日本人は、その後も在日朝鮮人、韓国人を差別し続けてきた。就職や結婚、融資、土地の取得などで徹底的に差別した。
野球の方でも書いたが、京大工学部の院を出た在日の青年が、就職で松下からSONY、SHARP、さらにはその下請け、孫請けまで受けてすべて門前払いを喰らって、母が経営するトッポギ屋で働いていたのを知っている。
こうした差別は、部落民に対するものと基本的に同じだった。
日本国への納税義務が課せられながら、戦後も在日の人々は事実上「二級市民」として生きてきたのだ。
もちろん、そんな中で成功した人もいる。佐野眞一の「あんぽん」を読めば、糞尿と豚の臓物の匂いの中から孫正義が超人的な活躍で財をなし、今の座を得たことがわかる。

要するに在日特権を利用して甘い汁を吸ったものもいれば、差別を振り払って成功したものもいる、成功できずに下積みに甘んじたものもいる。
当たり前の話ながら、「在日」という言葉には、さまざまな階層、生活水準の人が含まれているのだ。

だから、「在特会」の主張は、あまりにも一方的すぎて賛同できない。バランスを著しく欠いていると思う。
長くなるのでいったん切る。


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