こういう店が東京にあるかどうか知らないが、大阪の地下街には、よく「一人しゃぶしゃぶの店」がある。カウンター席に小さなガスコンロが据え付けてあり、そこに小さな鍋をかけて一人でしゃぶしゃぶを楽しむ店だ。私は昼時に通りかかったら、ほぼ間違いなく入る。
落ち着くのである。たかだか千数百円のランチだから、肉質は知れている。牛肉は刺しがなくて真っ赤だ。豚肉も多くはCCロインなどだ。
白菜だって、ニンジンだってごく普通のもの。餅やうどんがついている。
ポン酢もごまだれも別に特別のものではない。

でもいいのだ。
この間まで新大阪駅のビルの中にあったが、この間行ったら、工事をしていてひどくがっかりしたことがある。

鍋というものがもともと好きだということもある。特にポン酢味のあっさりした鍋が好き。ほろほろになった肉や野菜が酸っぱいたれに絡まることで、喜ばしい味わいになる。
そしてしゃぶしゃぶしているうちに、うまみ成分が透明な出汁に溶け込んでうっすらと色づくのも良い。

ではあるが、それ以上に「一人」と言うのが良いのである。



ご想像の通り、私は鍋奉行である。
うちの母など
「一緒に鍋を食べると考えただけで頭が痛くなる」
といったことがあるが、食材の食べる順序や加熱の仕方などにかなりのこだわりがあるのだ。

昆布を引いた鍋がゆだったら、まず人参や白菜の芯など、固い野菜を入れる。私はそういう野菜が柔らかくなるのが好きだから、これはじっくり加熱する。
あらかじめ湯がいてある人参ならもっと後に入れる。これ常識。
次に白菜の薄い部分、マロニーなどを入れる。

で、そのころに最初の肉を入れてまずいただくのだ。

しゃぶしゃぶ用の薄い肉は一枚一枚広げて湯に入れるのは当たり前だが、普通の水炊きであっても肉は一つ一つ開いて入れたい。

会社勤めをしていたころに、女子社員が冷凍したままのパックの豚肉を「ぱっちゃん」と丸ごと鍋に入れたことがあった。私は激怒しそうになったが、かろうじて抑えた。
恐らく家ではそういう食べ方をしていたのだろう。

残酷な話だが、鍋を囲むと「お里が知れる」。家でどんな食生活をしているかが丸わかりになってしまう。

ある若い男は、白菜と一緒に春菊を全部鍋に投げ入れた。
漱石に「あるほどの菊投げ入れよ棺の中」
という句があるが、それは関係ない。

鍋物についてくる青い葉は、お湯の中でしゃぶしゃぶしゃぶと三度ほど泳がせて、しゃきしゃきしたうちに食べるものだ。
一緒に湯に入れて煮込んでしまっては色も悪くなり、ずるずるになってしまう。

彼は、鍋に入れる野菜の区別を教えてもらわなかったのだろう。

豆腐やえのきだけの入れ方も難しい。
滑らかで柔らかい豆腐は、鍋に入れてから目を離してはいけない。「ぶるっ」と一揺れしたタイミングでいただく。まさに「豆腐は煮えばな」。
焼き豆腐などの固めの豆腐は、もう少し煮込む。しかしほったらかしにして洲が入っては元も子もない。やはり折を見て食べるべき。
えのきも、風味が残るうちに食べなければならない。

鍋を食べる者は、常に鍋の中に何が入っているかを意識しなければならない。油断してはならぬ。遊びではないのだ。

肉と野菜のバランスも心がけたいものだ。肉ばかり食べるのは論外だが、野菜が無くなるのもわびしいものだ。肉1、野菜2の食べ方を心掛けたい。

飾りのようについているかぼちゃの薄切りもおいしくいただきたい。ホクホクになるタイミングをみのがしてはならぬ。

〆のうどんのときに、他の具材はどれくらい残っていれば良いか、これは各界でも大きな議論になっているようだ。
「うどんのときには、何も残っていないのが正しい」
「そんなことはない、少しは具材があっても良い」
「朝まで生テレビ」のテーマにも上がりそうになったとのことである。

私などは、肉を一切れだけ取り置きしておきたい。で、うどんが茹ったら、最初の一口とともにいただきたい。
これは鍋が〆へと移行するための私だけの「儀式」である。

自他共に許すグルメな女性と鍋を囲んだときに、鍋が湯だったとたんいきなりうどんを鍋に入れたことがあった。
彼女の地金が一気にはがれたのだ。私は黙るしかなかった。



〆に雑炊をすることもある。
店でやると料理人が一旦鍋を引っ込めて、茶碗に入った雑炊を持ってくることがある。私はにわかに疑心暗鬼に陥る。
料理人は、折角おいしくなった出汁を使わずに、出来合いの雑炊にすり替えたのではないか。
文字通り「うまい汁を吸われた」のではないか。
できれば、雑炊は目の前で作っていただきたい。

食べ始めから食べ終わりまで、こういう調子で言いたいことがあとからあとから湧いてくるので、気の休まる時がない。
若い人と食べるときなど「今日は食べるのをやめて、文句だけ言おうか」と思ったりする。

ではあるが、いい年をして鍋を食べて周囲の人に嫌われるのも愚かだからあまり口出しはしない。で、ストレスがどんどんたまるのだ。



だから、だから「一人鍋」。食べたい具材を食べたいタイミングで、好きなように入れて味わうことができる。
今日もお昼は「一人鍋」にした。リラックスして食べていると、となりのおじさんが白菜とホウレンソウを一緒に鍋に入れた。
一瞬「いらっ」としたが「一人鍋」で心休まらないのなら、店を貸し切らなければならなくなる。
その財力はないので「隣には誰もいない」と念じつつ美味しくお昼を頂いた次第。


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