少し前の話題だが、気になって仕方が無かったので取り上げる。
第27回東京国際映画祭の「SAMURAI賞」受賞記念イベントに北野武が登場し、かなり強烈なコメントをした。

デイリースポーツによればこうだ。

 「小渕優子です」とボケながら登場したが、日本学生映画祭などの受賞監督から質問を受けるとギアチェンジ。日本映画を痛烈に批判した。 
「日本映画の最悪な点は映画製作会社が映画館も経営していること」と指摘。
日本アカデミー賞最優秀作品賞が大手から選ばれることが多いことについて
「東宝、東映、松竹…たまに日活。全部、持ち回りなんだよ。こんなばかなことはない」と疑義を呈した。
若手監督には「ちゃんとした映画を撮ってほしい。大きな映画会社に巻き込まれないで下さい」と助言した。


たけしはアニメ映画が嫌いなことや、自らの映画の作り方などにも言及したが、最もインパクトのある発言は間違いなく上記の内容だったはずだ。
しかし日本テレビは以下のように伝えた。

 若手監督や学生が、北野監督に質問をする時間ももうけられた。
 「今後、映画一本で突き進むべき?」という若手の悩みに対し、北野監督は“映画オンリー”の姿勢には反対の様子。自身も芸人と監督という二足のわらじをはいており、「自分がやる“映画のコント”が一番うまいと思う。だって、(芸人であると同時に)映画監督だから」と自らを引き合いに出して他ジャンルでの経験の重要性を示し、「映画以外にも目を向けて、どうしたら映画を持続できるか(考えるべき)」と語った。
中略
 若手監督や学生とのトークセッションを終えると、「みんなまじめすぎるよね」とポツリ。「最近は暴力映画ばかり撮っているけど、それは客が入るから。社会との妥協も必要。難しいけど、のめり込むことなく引いてみて。やる時はのめり込む、強弱をつけてほしい」とアドバイスを送った。


映画界の問題点を指摘した部分には一切触れなかった。

今の日本映画界は、まともな映画を生み出すような環境にはない。
今の映画は、映画会社や制作会社、プロデューサーなどが単独で作ることはあまりない。
「〇〇制作実行委員会」と言う名のジョイントベンチャーが組まれ、映画会社、テレビ局、広告代理店、出版社などが核となる。資金は広告代理店がスポンサーを集めてくる。制作はテレビ局がスタッフを派遣する、テレビはメディアでのパブリシティも行う。出版社は派生する出版物を作る。そして映画会社は系列の映画館で映画を放映するのだ。
今の映画がテレビ臭いのは実質的にテレビ系の人が作っているからだ。

ジョイントベンチャーは必ず収益を出す必要があるから、事前のキャンペーンを徹底的に行う。CMを大量に打つ。
最近は、ベンチャーを組んでいる局だけでなく、NHKも含めキー局、主要局全部で出演者が番組に出張るなど、事前の宣伝を行う。すべてぺイドパブ、つまり金が動いている。

試写会にはジャーナリストや評論家などが呼ばれるが、大部分が提灯記事を書く。これもキャンペーンの成果である。

そして映画会社は全国の系列館で一斉に放映する。
もちろん、そこまでやってもヒットする場合もしない場合もあるが、そのときでも収益が出るようにキャンペーンを追加したりする。
またDVDやブルーレイ、テレビでの放映など二次、三次的な活用も展開する。

各種の映画賞の類は、そうした二次、三次的な展開のための販促になっている。

こういうパッケージはスポーツや音楽イベントなどでも見られる。マーケティング的にはごく真っ当なビジネスではあるが、そこには「作品の評価」というものがほとんど入る余地がない。

今の、映画やテレビなどの業界は、投機を極端に嫌う。そのために作品の評価を視聴者やお客に委ねようとしない。
「評判」をねつ造し、前景気をあおることで観客動員、興行収益、視聴率を上げようとする。

いわば「八百長」を仕組んで「名作」「人気作」を作っているのだ。

こうしたやり方は恐らく角川春樹や、奥山和由などが始めたのだと思う。

1993年、スピルバーグの「ジュラシックパーク」が封切られたが、角川春樹はそれにぶつけるように「REX 恐竜物語」を上映。角川は大量のCMを打つなど凄まじいキャンペーンを展開。
同じ恐竜を扱った「ジュラシックパーク」と「REX」は世間の評判を二分したように言われたが、映画評では「『ジュラシックパーク』は90分が30分ほどの長さに感じられたが『REX』は3時間ほどに思えた」と書かれた。
角川春樹は直後にコカイン使用で逮捕され、映画も尻すぼみになったが、この映画あたりから、日本映画はクリエイティブではなくマーケティングに熱を入れ出したのだと思う。

北野武の発言をテレビ局が取り上げないのは、自分たちがその商法に加担し、甘い汁を吸っているからである。
他の人間が発言したのなら、おそらく存在自身が抹消されたことだろう。
発言者が北野武だったから、多少とも漏れ聞こえてきたのだ。
デイリースポーツは、地方紙である神戸新聞系だから気兼ねなく伝えることができたのだと思う。

こういう状況を見ていると、プロ野球界などまだましだと思う。能力があれば弱小球団でもスポットライトを浴びることができるのだから。

映画や音楽など「評価が数値化できない」分野では、評価そのものがねつ造され、出来レースが仕立てられていくのだ。
そして新聞を基幹とする大メディアは、そのお先棒を担いでいる。
私はそうした「八百長映画」がすべて質的に劣るとは思わない。しかし「玉石混交」であるのは間違いないと思う。
河瀬直美をはじめ、日本には今も優れた映画監督、作家がいるが、そうした作品が日本で広く観賞されることはない。
また映画のジョイントベンチャーが作った映画が国際映画祭で高く評価されることもあまりない。
毎年のように前評判だけが大きい映画が次々と作られ、面白いか面白くないかわからないうちに「消費」されていくのだ。

こうした事実を通じて見えてくることは、新聞やテレビ局などの大メディアは正直者でもなければ、市民の味方でもないこと。
マスメディアは「平気でうそをつく」し、「都合の悪いことは黙っている」のだ。
有体に言えば、商売でジャーナリズムをしているのだ。信用してはならない。

我々はもっとリテラシーを磨かなければ、「第4の権力」にえらい目にあわされることだろう。


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