終戦から5年ほどたった時期、つまり占領軍(GHQ)の支配が終わろうとする頃、東京の落語会には三人の俊秀が現れた。


一人は三代目三遊亭歌笑、古典派の三代目三遊亭金馬門から兄弟弟子の新作派、二代目三遊亭円歌門に転じた。
「歌笑純情詩集」という新作で売出し、寄席の人気者になった。七五調で落とし噺をしただけだが、いわゆる「ロンパリ」な容貌と「純情詩集」という可憐な演題の落差が笑いを誘った。
昔から、地方から人が流入する時期には、寄席の世界は「きわもの」「珍芸」で売り出す人気者が出る。洒脱な落語は理解できないが、他愛ない芸には反応する地方出身者のニーズに応えるのだ。歌笑もそんな一発屋の一人だった。
今その音源を聞くと、なぜこのようなもので人は笑ったのだろう、と思える。「銀座ちゃらちゃら」などは世相を映しているとは思うが。
歌笑は、絶頂期の1950年5月30日、進駐軍のジープにはねられて死亡する。
その死に方も「時代に咲いたあだ花」らしい。
しかし歌笑の死後、柳亭痴楽がそのスタイルを踏襲して人気者となる。弟弟子の歌奴(のち円歌)も他愛ない芸で大看板となる。
さらに先代林家三平も、落語の匂いをまといつつ刹那芸を披露した、という点でその系譜に連なるだろう。



一人は九代目柳家小三治、古典の正統派四代目柳家小さんの弟子。この小さん門には、預かり弟子、高弟など多くの門弟がいたが、小三治は、師匠から特に目を掛けられていたようだ。
戦後に始まった第三次、第四次落語研究会で古典派落とし噺の実力を認められ、TBSが主催した第五次落語研究会では親ほども年齢が違う五代目古今亭志ん生、八代目桂文楽、さらに六代目三遊亭円生に伍して主任を張る。
1950年9月には並み居る兄弟子を飛び越して、五代目柳家小さんを襲名。
「目白の大師匠」として五代目立川談志、さらに十代目柳家小三治、五代目鈴々舎馬風、四代目柳亭市馬と3人の落語協会会長を生んだ。
今の落語協会の隆盛を生んだ戦後最大の師匠と言えよう。



最後の一人は桂小金治。まだ二十代前半の若さで江戸前落語の俊秀として好事家に大いに評価された。立て板に水の弁舌のさわやかさ、人情の機微を描く細やかさ。
茫洋とした小さん(当時小三治)の大きさとは対照的に、芝居を口で演じるような達者な芸が高く評価されたのだ。
しかし小金治は1952年、突如噺家をやめて役者の道に進む。映画監督の川島雄三に認められたのがきっかけだと言うが、落語界を大いに嘆かせた。
一つには、小金治が、二代目桂小文治という上方の落語家の弟子であり、東京の落語界では弱小の流派だったこともあるかもしれない。
小文治は、大正期に東京に移住し、上方落語ながら東京の落語芸術協会の大看板になった。門弟には五代目古今亭今輔、四代目三遊亭円遊、二代目桂小南などがいた。ちなみに現四代目桂米丸は孫弟子に、桂歌丸はひ孫弟子にあたる。
しかしながら、芸術協会の噺家、特に新作派が多く出た小文治の一門は、古典派の落語通からは評価されにくい。
九代目柳家小三治(小さん)のライバルと言われていたが、本人はその道で生きていくことに限界を感じていたのかもしれない。

以後、小金治は映画俳優、タレントとして主にテレビの世界で活躍することになる。

私は桂小金治が大嫌いだった。
正義感ぶった「アフタヌーンショー」での司会。今のTBS「ひるおび」のMC、恵俊彰に割と似ていると思うが、番組をすべて取り仕切り、思うままに操る様は達者だったが、「善人ぶり」が臭すぎた。
当時、関西では三代目桂米朝が「ハイ、土曜日です」というバラエティの司会をしていたが、一歩引いた位置から控えめに仕切る米朝の方が、はるかに好感が持てた。

最悪だったのは「それは秘密です!!」だ。
生き別れになった親子が再会する、昔の恩人に恩返しをする。ワンパターンであり、お涙ちょうだいの厭らしい番組だったが、小金治は、感動シーンをさらにえげつなく盛り上げるのだ。
親子の再会のシーンには
「じっと見つめる目と目…」
「もう言葉は要りません、その顔、その表情が語っています。“会いたかった”」
「うれしいでしょう、わかります、さあ、お母さんを抱きしめてあげてください」

祖母や母などは、毎回「涙、滂沱して止まず」という感じだったが、人のプライベートを見世物にする厭らしさには、辟易した。

今にして思えば一流の落語家として鍛えた話芸があればこそのMCだったと思う。
「腕が無ければ“臭い芸”はできない」
と良く言われる。小金治はタレントとしても一流だったのだろう。

60歳を過ぎる頃から、小金治は落語をするようになった。
「三方一両損」「大工調べ」「粗忽の使者」
などを聞いた。
確かに達者な芸ではあったが、すでに「善人桂小金治」の印象が付きすぎて、さらには自らが「あの小金治」を演じている様な自意識過剰ぶりが見えて、それほど楽しむことができなかった。

よく「あの噺家は、ある程度行けば成長が止まる」などと言われたが、小金治もそうだったのかもしれない。あるいはテレビの世界に長くいるうちに「臭みが抜けなくなった」のかもしれない。

率直に言って当代の古典派の噺家の方が上だと思った。

88歳での逝去。寄席の世界と放送の世界で実力が認められた。才人だったのは間違いないだろう。


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