大学時代の友人が、産経新聞の記者になった。お互いいい歳になってから一度、私のクライアントだったある学校を取材してくれるように頼んだことがある。
デスクになっていた友人は、部下の記者を取材に寄越してくれた。そのときの記者氏が言った言葉が忘れられない。
「うちは、国益に反しない限り何を書いても自由、という方針です」

もう十数年も前の言葉だが、今も強く印象に残っている。
「国益」とは何なのだろう。その頃からずっと思ってきた。

【国益】 国家が独立を伴って存続する上で必要な物理的・社会的・政治的な要素
国家や、その国全ての国民の利益。


「国益」は第一に外交上の言葉として使われる。
例えば、外国での邦人や日本企業の権益は「国益」に当たるだろう。
中国などとの領土、領海をめぐる争いも「国益」から来るものだろう。
つまり対外的な問題では、日本は「一枚岩」であり「利益」を共有しているという認識がある。
これは分かりやすい話だ。
オリンピックで日本人選手を応援するのと同じ感覚で、日本を応援したくなる。日本は自国の「国益」を守るべきだ、と素直に思うことができる。

しかし、国内に目を向けて見れば「国益」という言葉の色合い、趣は大きく変わる。

間もなく衆議院選挙が始まるが、ここで政治家が訴えているのは、端的に言えば「私が、我が党が、一番うまく富の配分をします」ということだ。
最大多数の最大幸福を国民になり代わって追求するのが「政治家」という仕事だから、当然の話だが、それは裏返せば現状の日本の富の分配が「必ずしも公正ではない、平等ではない」ことを物語っている。

いつの時代でも、富の平等な配分は国家の一番重要な課題であり、解決することのない永遠の目標でもある。
しかし新自由主義の進展とともに、日本ではこの「富の配分」の考え方が大きく変わってきている。
これまでは、効率が悪くとも「公平さ」に力点が置かれていた。企業の終身雇用や年功序列、組合による労働者保護などもそうした考えによるものだ。
銀行などの「護送船団方式」もそうだ。
「所得倍増計画」という言葉もあったように、国民、企業が揃って豊かになることが目的だった。「高度経済成長期」と言われる時代だ。
その時代であっても「不公平」「不平等」に対する国民の不満は多かったが、概ね日本の国は「高度経済成長期」にリッチになり、生活水準も飛躍的に向上した。利害の対立は小さかったと言ってよいだろう。
「国益」という言葉が日本国内でも比較的ポジティブに通用した時代だったと言っても良いだろう。

しかしバブル期を経て長い経済の低迷期を過ぎた昨今、ずいぶん様相が変わりつつある。規制改革、雇用形態の変化、税制の変化などは、富める者、大企業に有利になるように変わりつつある。それとともに経済格差も広がった。
今では、日本は多くの深刻な利害対立を抱え込んでいる。
「地方と東京」「老人と若者」「正規社員と非正規雇用者」「原発受益者と被害者」「高学歴者と中高卒者」
日本国内を見れば「国家や、その国全ての国民の利益」などは存在しえないように思われる。

しかし最近、「国益」を声高に叫ぶ人が増えてきた。
これは安部政権が、「大企業や富者がさらに富めば、その恩恵はその他の人にもいきわたるのだから」という理屈で一部の利益をあたかも「国益」であるかのように言い出したからだと思う。
「国益」という言葉はナショナリズムをかき立てる。だからそういうことを言うのが好きな人々が好んで振りかざすようになった。
自分たちの利益にならない「国益」など本来あってはならないのに、政府の言うことに乗せられて「国益」を声高に叫ぶ人が多くなった。

朝日新聞の「従軍慰安婦」記事をめぐる問題でも、多く聞かれたのは「朝日新聞は国益を損なった」という言葉だ。
本来新聞など言論機関は、権力の監視者である。「絶対的権力は絶対的に腐敗する」と言われるが、言論機関はこれを監視し、不正や不実を暴きたてるために存在している。そのために「第4の権力」といわれる強い権限を認められている。
朝日新聞が責められるのは純粋に「虚偽」の報道をしたからだ。「国益」を損なったからではない。

言論機関が「国益に沿う」ということは、「国益に反することは黙っている」あるいは「嘘をつく」ということになりかねない。

自国の利益ばかりを主張し、都合の悪いことは黙ってしまうのであれば、それは中国や韓国の言論機関と変わるところはない。
言論機関は、自国に都合の良いことも悪いことも包み隠さず報道することによって人々の信頼を得ることができるのだ。

しかし昨今の「国益」への圧力によって朝日新聞を含む多くの言論機関は、急速に体制側になびいているように思う。

というより今のマスメディアはそもそも「持てる側」の企業であって、スポンサーなどの利益を第一に考えているのかもしれない。
「正義の味方」「不正を暴く」は、ただの格好つけになっているのかもしれない。

今の「国益」という言葉は、親の世代から聞いた戦前の「お国のために」という言葉に限りなく近づいているように思う。

最近読んで励まされたのは、池上彰に関するこんな記事である。

「国益に反して何が悪い?」池上彰が朝日叩きとネトウヨの無知を大批判!

私は「国益」を振りかざす人を信用しない。大金持ちでもエリートでもないのに「国益」を声高に言う人たちは、本当の愚か者だと思っている。

私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひコメントもお寄せください!



広尾晃、3冊目の本が出ました。