年明けに東大寺に初参りに行って、干支の土鈴を買ってくるのが恒例になっている。
東大寺は元旦と8月15日の零時から朝8時まで、大仏殿の正面の窓があき、大仏様の御顔を正面から拝することができる。

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東大寺の素晴らしさは毎年このブログで紹介しているので、今年は少し違う話を。

私は全国のお寺を見て回るのをライフワークにしている。
お寺は建てられた年代で、その形や建築方法、配置などが異なっている。
お寺の建物を見るだけで、大体建立された時期がわかる。

“江戸時代”を象徴する建物の特徴は「唐破風(からはふ)」だと思う。
「破風」は、もともと建物の妻側(屋根の合わせ目が見える側)の三角形の形状のことを言うが、この部分に飾りを施すようになり、さらには妻側ではなく、正面にも同様の飾りを付けるようになった。
そういうものもすべて「破風」という。

「破風」には、切妻屋根の合わせ目をそのまま見せる千鳥破風 天竜寺の庫裏

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入母屋屋根の合わせ目をそのまま見せる入母屋破風 法隆寺の金堂。

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などがあるが、一番個性的で、装飾的なのは「唐破風」だろう。延暦寺の根本中堂。

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「唐」というのは、中国のことだが、この破風は大陸から来たのではなく、日本固有だとされる。

日本で平安時代後期に出来たと思われるが、その形がユニークだったので「唐」と付けられた。
「ハイカラ」みたいなイメージだろうか。
「唐破風」は本来妻側に付けられる一般的な「破風」とは異なり、ほとんどが建物正面に付けられる。雨除けにはなるだろうが、機能性はない、純然たる装飾だ。
唇がまくれ上がったような「唐破風」がついた建物を見たら、「あ、江戸時代のものだ」と思ってほぼ間違いがない。
鎌倉時代、室町時代からあるが、爆発的に流行したのが安土桃山時代。
織田信長、豊臣秀吉などの武将が「唐破風」を好んだのだ。
竹生島神社の拝殿はその古い形。

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近世の城郭建築は、「破風」のオンパレードだが、「唐破風」はその主役。これがなければお城はずいぶん間が抜けたものになるだろう。

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日光東照宮も「唐破風」だらけ。徳川家康など歴代の将軍も「唐破風」のある建物が好きだったのだ。

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さて東大寺の大仏殿にも立派な「唐破風」がある。この「唐破風」が、大仏殿の建物にはっきりした表情を与えている。

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大仏殿は平安時代末期に消失し、鎌倉時代に建てられたが、戦国時代末期に松永久秀らの戦闘によって焼失している。
それ以来1世紀以上大仏様は露座、つまり青天井に座っておられた。雨風に耐えておられたのだ。
公慶上人らの働きで再興されたのは1691年、元禄4年。松尾芭蕉が奥の細道を歩き終えて2年後、赤穂浪士の討ち入りの11年前。
江戸時代の体制がようやく固まり、秩序ができた時代。
「唐破風」は、徳川幕藩体制の象徴みたいなものではないかと思う。
先ほど紹介した当時の金堂も江戸時代初期の建立だ。

東大寺大仏殿の「唐破風」を真下から見る。

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木材を優美な形にまげて造形を作るのには、高い技術が必要だ。
日本一の東大寺の大仏殿の再興には、当時の最高の技術が使われたのだろうと思う。

お寺を見慣れてくると「唐破風」を見ると、「近世のものだ」とすぐに思ってしまう。
大仏殿には、鎌倉時代創建の昔の大仏殿の模型が飾ってある。
唐破風はない。ずいぶん印象が違う。

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1200年を超す歴史を持つ東大寺の建物に「唐破風」があるのは、少し残念な気がするが、最近は、心の中で「唐破風」がない大仏殿を思い浮かべることで、お昔の東大寺の姿をイメージするのも楽しみの一つになっている。



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