サラリーマン時代、日本酒メーカーを担当していた。ずいぶん長かった。10年以上も灘のナショナルブランドに通った。
贈答用の高価なお酒から、パック酒まで、大吟醸酒からいわゆるアル添、三増酒、冷酒、生酒まで、いろいろなお酒にかかわった。
勉強のために酒蔵にも泊まり込んだことがある(醸造用の水の美味しかったこと!)。
仕事はデザイン、広告関連ではあったが、クライアントの担当者は醸造工学科卒の専門家だった。
いろいろ教えていただいたが、良い日本酒とは「その酒自体がやたらうまい酒ではなく、料理の邪魔をしない酒」ということだった。

どんな酒でも、一口なめれば甘い味がする。
日本酒は、米を粥に焚いて麹かびという菌で醗酵させて糖にし、これをさらに酵母菌でアルコール醗酵させて造る。もとは糖だ。
米焼酎も米を糖にしてからアルコール発酵させるが、出来上がったアルコール分を含む塊(もろみ)からアルコールを取り出す方法が違う。
米焼酎のばあいもろみを蒸留してアルコール分を取り出すのに対し、日本酒、はこれをぎゅっと絞るのだ。
蒸留すれば、アルコール以外の成分は殆んど飛んでしまうが、絞れば、様々な味の成分、とりわけ糖分はそのまま残ってしまう。
だから日本酒は甘いのだ。甘いだけでなく、複雑な味わいが残ってしまう。それがうま味でもあるのだが。もともと日本酒は、味覚が複雑で、うるさい酒なのだ。

最近は「吟醸酒ブーム」で、高価な吟醸酒が出回っているが、あれはもともと酒造職人(杜氏)が、新酒の鑑評会などで醸造技術を競うために造っていたものだ。売り物ではなかったのだ。
競技用の酒だから、ぐっと個性をひきたてようとする。米の精米歩合をあげるのは、美味しいところだけを使おうとするからだ。複雑な醗酵工程を踏むのは、それだけ酒の個性を強くしようとするからだ。
できあがった吟醸酒は吟醸香という果物のような強い香りがする。味はクリアだが、はっきりとした個性がある。
利き酒で強くアピールする目的で造られた酒だから、単独で飲んだ時に一番おいしい。

つまり、吟醸酒は、料理に合わせるには不向きの酒なのである。

私が大好きな作家、内田百間は、「田舎から美味しい酒を送ってくれるのは嬉しいようで、迷惑だ」といった。
百閒は、毎晩の御膳に向かうのを無上の喜びとしていた。晩酌を美味しくいただくために、昼は決まって盛りそば一枚にするほど徹底している。



「御馳走帳」という本には、百閒が夕食の膳に上せたご馳走が延々と並べられている。
和食あり、洋食あり、肉あり、魚あり、その旺盛な食欲には驚くばかりだ、百閒はこれらのご馳走を前にして悠々と晩酌を愉しむのだ。家人は大変だっただろう。

当然、主役は料理だから、日本酒は料理の味を邪魔しないもののほうがよい。自己主張の強い酒はいけない、といことなのだ。
百閒は岡山の造り酒屋の出だから、言うことには信ぴょう性がある。灘の白鷹が贔屓で、樽で送ってもらっていた。
酒好きだから美味しい酒には目がないが、美味い酒をもらったりすると、夕餉の膳との相性が悪くて困るというのだ。

この話に痛く感動した私は、クライアントの担当者氏に話した。
担当者氏は
「そうや、うちも同じような酒作りを目指してるで」
と即座に反応した。そして自社で好きな酒として
「レギュラーの上撰(昔の一級酒)」をあげた。贈答用の高級酒ではなかった。
それから、と前置きして
「最近発売されたパック酒もいい」と言った。
スーパーなどでずらっとならんでいるあの赤いパッケージの酒である。
ずいぶん安い酒だ。
「あれは、いろんな蔵の酒をブレンドしてる。よその蔵の酒も混じってるけど、一番おいしい酒に近い味になるようにブレンドしてるねん」

担当者氏は、広告企画の担当になる前は開発担当で、そのパック酒のブレンダーもしていたのだ。自信満々で話すのも無理はない。
こういう話がただで聞けることが、広告屋の醍醐味でもある。

今も、和食の名店では、吟醸酒を出すことはあまりない。そういう基本的なことをわきまえているからだ。
吟醸酒は、純粋にそれを楽しむ店で楽しめばよい。

日本酒はカロリーが高いし、美味しすぎるのでついつい過ごしてしまう。最近はとんとご無沙汰だが、正月に燗酒を少しいただいて、その美味しさとともに、昔学んだことが蘇ってきた。

今日は非常に冷え込んでいる。夕餉の膳に燗酒を上らせてはいかがだろうか。


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広尾晃、3冊目の本が出ました。