今は苦手な食品は、ほとんどないが、昔は納豆がだめだった。


好き嫌いの多い妹がなぜか納豆が好きだったため、母がよく買ってきたが、私は食べることができなかった。独特の香りと味がダメだった。納豆の味噌汁とか納豆餃子とか、夕餉の膳に出て、残した思い出がある。

食べることができるようになったのは大人になってからだ。
お酒のアテに、イカ納豆なるものがでてきて、これが日本酒に本当によく合った。独特の旨味が淡白なイカの刺身とよくからまって、お酒を美味しくした。うまいものだな、と思った。

私は食べ物の取材をすることが多い。納豆メーカーの取材も何度かした。
関西には納豆を作っているところなんてないだろう、と思われるかもしれないが、兵庫県など関西にも何社かある。
普通の納豆だけでなく、黒豆納豆なども作っていた。

関西の人は、大粒の納豆は好きではなくて、小粒のものがすきだという。また、匂いがきついのも好まない。ひきわり納豆も売れないそうだ。
このあたり、私だけじゃなく、関西人の多くが、納豆に対し「腰が引けている」印象がある。

水戸に何度か行ったことがあるが、キオスクにドライ納豆というのを売っていた。
数粒の納豆を小さなノリに巻いて乾燥させたものだ。口に含むとじわじわと納豆になっていく。これは美味しいと思った。納豆独特の香ばしさを強く感じて、すっかりファンになった。



今では、食べ物屋のメニューに納豆があればよく頼む。私は吉野家の朝定食が好きだが、ハムエッグや焼き鮭定食には、納豆を追加する。

しかしながら納豆を食べるときは、まだ心の片隅にちょっとしたためらいがある。
発泡スチロールの小さな容器の納豆が出てくると、箸を立てて納豆をかき混ぜるのだが、あれどのくらいやるのが正しいのか、よくわからない。
私は納豆のつぶつぶが泡で見えなくなるほど真っ白にかき混ぜるのがすきなのだが、いい年をした大人が、髪を振り乱していつまでもいつまでも小さな容器をかき混ぜていると、おかしな人に思われないか、と思ってしまう。
もうひと搔き、もうひと搔き、と思いながら納めどころがわからない。




そして私は納豆をご飯にかけることができない。美味しいのはわかっているが、納豆を食べ終わった後のご飯に、ねばねばやたれが残るのが嫌だ。
残りのご飯は他のおかずで食べる訣だが、その時には納豆のことはきっぱり忘れてしまいたい。
「納豆は納豆」「他のおかずは他のおかず」というけじめをつけたい。

だから、私は泡立てた納豆を「ぼわっ」と口に入れ、それからご飯をかきこむ。二口か三口で「納豆の部」を終えて、「次の部」に移るのだ。
側から見ると、嫌いなおかずを先に「えいやっ」と食べているように見えるのではないかと思うが、私はそれでも十分に満足している。
関東の人からみれば、「本当の納豆好きじゃない」と言われるかもしれないが、もう五十半ばだし、納豆くらい好きなように食べさせて欲しいと思っている。

恐らくこれからも納豆に対しては「アウェイ感」を抱きながら生きていくことになるだろう。



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