ばたばたして更新できないでいる。本来ならこのサイトでは、しばらく桂米朝について書くつもりだった。しかし、前回の沖縄についての記事へのコメントが、あまりにも酷いと思ったので、もう少し書きたい。
沖縄や原発事故の被災地の問題を、金で解決できるかどうか、という話である。
「解決できる」あるいは「そうするしかない」というコメントが幾つか来た。こういう意見を言う人は、被害者、被災者と自身を置き換えて考えることができない、または意図的にその回路を断ち切っていると思う。
現代社会では、事故や過失の被害者に対して、加害者、過失責任者は金銭で償うのが一般的だ。例えその被害が、死亡や回復不可能な障害であったとしても、その補償は金で行われる。
それは「そうする他に方法がないからだ」。
しかし、それは根本的な解決ではない。
根本的な解決でないことは、我がこととして考えてみればわかる。
あなたが肉親を失って、何がしかのまとまった金をもらったとして「ま、いいか」と思うことはないはずだ。
一生残るような障害を負った場合も同様だ。
不可逆的な被害な場合、「金」で釣り合うことなどないのだ。
言い換えれば、人の深い悲しみや喪失感を金で穴埋めすることはできないのだ。
しかし、それ以外に解決の方法がないから加害者側は、「これで勘弁してください」という思いを込めて金を支払うのだ。
被害者は、補償を受けるとともに加害者、過失責任者の謝罪を受けるうちに、感情を和らげていく。言い換えれば、諦めていくのだ。
そうした事故の被害は、一過性のものだ。あくまで一度きりだから、被害者も納得する。加害者側、責任者側は、被害者に対して補償をするとともに、過誤を再発させないように対策することが求められる。
言わば「金で解決する」ことは、加害者側が「二度としない」ことを誓い、善後策を講ずることもセットにすることで、辛うじて成立するのだ。
沖縄県のケースは事件、事故の被害とは違うというかも知れない。
しかし、何の落ち度もない人々が、不当に土地、財産を占拠され、環境や文化、歴史に不可逆的な改変を加えられたという点では、深刻な「被害者」であるのは間違いないだろう。
彼らに対して、日本政府、米軍は金を支払い続けてきた。それは「加害者」だからだ。
しかしながら状況は一向に改善されなかった。むしろ、こうした異常な環境が固定化される様相を見せつつある。
沖縄県民と言う「被害者」は、一過性ではなく継続的に被害を受けてきた。しかも加害者、過誤の責任者たる国は、善後策を講じることもなかった。いわば、金を払って被害者を殴り続けるようなことをしてきたのだ。
「でも、基地使用料をもらって、左うちわで生活している奴や、米軍との商売で潤っている奴もいるじゃないか。金で解決できているじゃないか」という反論がある。
沖縄県が受けたような広汎で、甚大な被害の場合、被害者の数も非常に多い。被害の程度もさまざまである。
中には、以前よりも豊かな生活ができた人もいるだろう。
また、「被害はあったが、金が儲かればそれでいい」と言う人もいるだろう。
今となっては、基地経済に頼らざるを得ない人もいるだろう。
しかし、そうでない人もいるのだ。
沖縄県の知事が、米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設に向けた埋め立てを承認した仲井眞弘多から、これに反対した翁長雄志に交替したという事実は「金で解決できる」と思っている人が、少数派だったことを意味している。
沖縄県民は、我々と全く同じ日本人だ。同胞である。
国際情勢の悪化やアメリカの圧力を理由に、沖縄に今後も「特別な負担」を押し付けつづけるのは、日本国民の一員である沖縄県民の尊厳を傷つけている。
それは広範で深刻な人権侵害が、政府の手で行われていることを意味する。
沖縄県に生まれたというだけで、彼らに被害を押し付け、金を払って我慢させ続けることを、一度精算すべきだ。
基地負担や安保の問題は、そこから考え直すべきだ。
恐らく、沖縄は、原発被災地の未来の姿である。沖縄同様、何の落ち度もないのに故郷を追われ、生活を激変させられた人々は「金での解決」を強いられている。そして国や電力会社はこうした被害の再発防止のために抜本的な手を打つことなく、原発行政を継続しようとしている。
悲劇が風化するとともに、その不当性は人々に忘れ去られる。今の政権は、それを期待している。
沖縄問題や原発問題について、当事者、被害者の立場を忖度しない人は、彼らを同じ「日本人」とは思っていない。
自分は勝ち組であり、彼らは運が悪い間抜けな負け組だと思っている。
そういう人たちの意識は、恐らくヘイトスピーチをする輩と通底している。
運が悪ければ、そして状況が変われば、我々はいつ何時、沖縄県人や原発被災者の立場にならないとも限らないのだ。
「他人のことを、我がこととして考える」想像力の欠如は、日本人の劣化の象徴的な現象の一つだと思う。
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広尾晃、3冊目の本が出ました。
広尾さま仰られている当事者意識の欠落も、まさにその分断の産物ではないかと思う次第です。
例えば安倍政権の経済政策しかり、経済格差の肥大化と固定化を狙った政策でしかなく、支配者(勝ち組)と被支配者(負け組)の線引きを明確にし、被支配者側の弱体化や無力化を目論むものとしか思えません。
安倍政権になってからというもの、日本の右傾化が叫ばれるようになって久しいですが、そもそも体制側というのは当然、右寄りな訳で、彼らの権利、権益が年々強化されてきているのは当然として、むしろ、境界線上にいる被支配者側、すなわち中流階級のような人々が、自分たちは体制側の人間であるかの如く振舞うことが、実は右傾化の実態ではなかろうかと個人的には思っています。
まさに沖縄の基地問題とは、国家主義の踏絵そのものであり、今回の関連エントリーで交わされる様々なコメントからも、その方々のスタンスが透けて見えるようで、興味深く拝見している次第です。
確かに基地問題は簡単に解決できる問題ではありません。
しかしながら、日本は国民主権を謳う民主主義国家であり、沖縄の人々が基地の反対の民意を示している以上、これを国家が否定するようなことになれば、それは民主主義を否定することに繋がっていくものと考えます。
即ちそれは、それは決して、お金で解決する他人事で済むような話ではないはずなのですが...