女性の芸人が、男の芸人に混ざって寄席に上がるようになったのは、それほど古いことではない。
明治期に、東京で娘義太夫が大流行りとなり、席亭が人気目当てで寄席の高座にあげたのが始まりだ
その後、噺家の師匠が女の弟子を取るようになる。
彼女たちは音曲師として三味線を片手に高座にあがる。寄席では「女道楽」といった。明治から昭和戦前まで活躍した立花家橘之助は、三遊亭圓朝の孫弟子にあたるが、素晴らしい権勢を誇り「女大名」と言われた。
榎本滋民作の芝居「たぬき」の主人公だ。
橘之助を頂点とする女道楽は、戦後も東京では玉川スミ、日本橋すみえ、関西では吾妻ひな子などが受け継いだ。今も東京には三遊亭小円歌など、関西には内海栄華がいる。

漫才が噺家に混じって寄席に上がるようになったのは、大正期からだが、初期から男女の漫才はあった。
私の世代もよく覚えている砂川捨丸、中村春代のコンビがその代表。
捨丸は、素顔では押し出しの強い芸人だったが、舞台では大柄な春代に派手な音で殴られていた。亭主を尻に敷く漫才というのは一つのパターン。
東京でもあした順子・ひろしがそうだった。二人とも存命中だが、ひろしは90歳を超えた。

大阪では都家文雄・荒川歌江、その弟子の人生幸朗・生恵幸子、東京では、都上英二・東喜美江、松鶴家千代八・八千代、その弟子で北野武の師匠だった松鶴家千代若・千代菊らが第一世代の夫婦漫才だろう。

高度成長期は、夫婦漫才の全盛期だった。
ミヤコ蝶々・南都雄二、ミスワカサ・島ひろし、暁伸・ミスハワイ、少し遅れて鳳啓介・京唄子、島田洋之介・今喜多代。
ミスワカサは森光子のきょうだい弟子にあたる。美人だったが50代半ばで死んだ。今喜多代は東京弁だったが、口跡がよく、愛敬があった。
東京では地下鉄漫才の春日三球・照代。
夫婦漫才の女性はみんな華があった。舞台にあがると周囲がぱっと明るくなった。
夫婦漫才もめっきり少なくなった。今は宮川大助・花子くらいだろうか。

女性だけのグループは、トリオが先に売り出した。かしまし娘、ちゃっきり娘、ジョウサンズ、彼女たちはギターや三味線をもっていたから「女道楽」の系譜と言って良いだろう。
この「◯◯娘」も華があった。
今となっては知る人も少ないだろうが、ジョウサンズでアコーディオンを弾いていた日吉川良子はのちに桂枝雀夫人枝代になった。ジョウサンズで一番人気があったと記憶している。

女性同士の漫才は、東京では内海桂子好江、関西では海原お浜・小浜がさきがけだろう。
お浜・小浜の一門からは、海原千里・万里という天才コンビが出た。海原さおり・しおり、今の海原やすえ・やすよもこの系譜。
東京では、ふじゆきえ・はなこというやたら声の良い女流漫才が寄席で活躍していた。

女流漫才は、男性の漫才よりも健全だった。
色恋は主要なテーマではあったが、下ネタはなし。テレビの時代になって、女流漫才が茶の間にうけいれられたのは、子供にも安心して見せることができたからだろう。

ただし、寄席ではそうではない一面も見せた。
大御所、内海桂子好江は、毎年正月初席では、漫才の最後に裾をめくり上げて足をにょきっと見せつけて「女の紅い筋は縦についている!」とえげつないことを言って降りるのが常だった。恐らく、これは三番叟みたいな吉例だったのだろう。

さて、先日亡くなった今いくよ、くるよは、島田洋之介・今喜多代の弟子。メディアの中には、女流漫才の草分けと書いたものもあったが、第二世代が正しい。
千里・万里はかなり先輩だが同世代、ライバルには若井小づえ・みどりがいる。北野武夫人の内海ミキとミチのコンビも同じ世代。

女流漫才の典型として、下ネタや毒のあるネタは一切なし。大爆笑するようなねたもなかったが、明るく聞きやすかった。ボケとツッコミのキャラが立っていて、口跡も明らか。話芸としてレベルが高かった。

今も海原やすえやすよという、しゃべくりの系譜を引く女流もいるが、平成期に入ってからの女流漫才は、ハイヒール、アジアンなど毒や鋭さも、スピード感も、男性と遜色のないものが多くなった。家族でのどかに笑い興じるような笑いとは別モノになっていったといえるだろう

そういう意味ではいくよ・くるよは前代の女流漫才の生き残りというところだ。
多くの女流が、結婚などによってリタイアする中でデビューから40余年の長きにわたって高座に立ち続けたのが最大の功績だろう。

漫才と言う芸能は、時代に合わせて常に変化し続けるものだが、昭和の女流漫才は「いくくる」で終わりではないだろうか。



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