野球のブログでジェット風船について書いたところ、賛否両論(多くは否)の意見をいただいた。予想されたことだが、私から見れば「答えになっていない」と思えるコメントも多かった。
一つは、こんなに多くの人が喜んでいるのに、こんなに多くの人が賛意を示しているのに、なぜおまえは反対するのか、という趣旨。
ネットではよく見られる意見だ。
議論の中身ではなく、多数決で押し切ろうとするものだ。ネット民の威光を示して圧力をかけようという考えの人もいるが、ただ単に「多くの人が賛成している」ことが、正当な理由になると思っている人も多い。

もう一つは、球団がもうかるから、観客動員につながるから、ジェット風船は肯定すべきだ、というもの。
コンシューマーであるはずの一般人が、利害が対立する球団の立場を慮って発言するのだ。
プロ野球の球団の多くは今でも赤字である。経営危機や存続の危機に陥ることもある。だから、球団のためを思うのだ、と説明する人もいた。
私はそうではないように思う。プロ野球に限らず、いろいろな状況で、縁もゆかりもない相手を「思いやる」ような説明をする人がいる。
もっと言えば、まるで他人事のような客観的な解説をして、意見を述べたような気になる人がいるのだ。

この二つの意見は、発言者自信が「議論をする地平」に足をつけていないことによるのだと思う。
当たり前のことだが、議論とは、本来、自分の立ち位置から自分が考える意見を述べ合うことだ。
しかし、“多数決派”“解説派”の人たちは、自分の意見を言う代わりに、他者の意向や一般論を振りかざすことで、それに代えている。自分の意見を言わずに済まそうとしているのだ。

自分の意見とは、あるテーマについて「快、不快」「嫌悪」を表明するか、自分の価値観、立場で「利害」「正義、不正義」を言い立てるかである。
旗色を鮮明にすることだと言ってもよいかもしれない。

議論はここから始まると思うのだが、そういう人は本当に少ない。
日本人は、旗色を鮮明にしたくないのか、あるいはそもそも「自分の意見」を持っていないのか、と思う。

ジェット風船のような些末事だけでなく、様々な問題で、こういう「意見にならない意見」を述べる人がいる。

昨今の安保法制では、賛意を示す根拠として「日本の石油ルートの確保」や「中国や中東に対する国防」などを口にする人がたくさんいた。
私に言わせれば、そうした一般論は前提であって、だから自分はどうなのか、どう思うのか、まで言わないと意見を言ったことにならないと思うのだ。
昔の戦争も、これとほとんど同じ理由で始まった。
国家戦略とは何の関係もない一個人があたかも為政者のように「日本の権益を守るため」「欧米の脅威から国家を守るため」に戦争をと、いかにももっともらしい解説をしていたのだ。
その結果として、自分や家族が死んだり、家や財産を失うことになった。わが身に影響が及ぶ重要な問題を、我がことと理解できるまで引き寄せることなく、他人事のように思っているうちに、破滅を迎えたのだ。

日本と言う国は、物事をはっきり言わない、あるいは物事に対して本当の意味で意見を持っていない人によって成り立っているのではないかと思うことがある。
大事なこともそうでないことも、なんとなく決まってしまう。

これは、為政者にとってはやりやすいことだ。多くの国民が問題を他人事のように思い、真剣に考えない。
重要なことの前でも立ち止まらず、いつのまにか流してしまう。
処世術としては、それでよいのかもしれないが、真剣に議論をする習慣をつけないと、いずれ命取りになると思う。



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