ありがたいことにネットだけでなく紙媒体の仕事も途切れなく続いている。不思議なことに、ネットの仕事やブログは家でパソコンの前でできるのだが、本や雑誌などの仕事は、家ではなかなかできない。そこで図書館に行く。
ここ3年ほど、電車で20分ほどのところにある大きな図書館に通っている。1冊目の本からずっとここで書いてきた。
電源があってパソコンを使うことができる。ラップトップの小さなパソコンで書いている。
野球の専門書は開架ではそれほどないので、資料は持参している。
しかし図書館には新聞の縮刷版がある。調べ物をするのに便利だ。ある出来事について書いているときに、その日の新聞に何が載っているかを見て、いろいろひらめくこともある。時代の空気がぱっとよみがえることもある。

野球ではなく歴史の調べ物をするときには、図書館はさらに不可欠だ。図書館には自治体ごとの歴史を詳細にまとめた自治体史を所蔵している。「●●町史」などというあれだ。
日本と言う国がえらいと思うのは、全国のほぼすべての市町村が「自治体史」を編纂していることだ。教育委員会が中心になって、郷土史家や教員が調べて書いている。
もともとは、幸田露伴の弟の幸田成友が編纂した「大阪市史」が始まりだが、これがお手本になって全国で作るようになったのだ。
合併前の旧市町村のものを含めれば、自治体史は1万点以上になると思われる。
これはほぼすべてが「禁帯出」になっている。図書館にとって重要な本なのだ。

tustaya


図書館には、自治体史だけでなく大きな専門書がたくさん所蔵されている。大きな図書館には自然科学、社会科学、芸術、文学などありとあらゆるジャンルの専門書が所蔵されている。すべて分厚くて、重くて、非常に高価だ。
価格は、安くても数千円。全巻揃えなら数万円、数十万円。
一般的な作家やライターではなく、研究者や学者、その道の専門家が書いている。
専門書の多くは、一般の人が読むことを意識していないので、文章は重々しく、読みづらい。学問的な厳密さを重視しているからだ。

「専門書」は町の書店ではあまり扱われない。取り寄せになることが多い。高価なうえに、一般の人には無縁なことが多いから、市場に流通しないのだ。
「専門書」は、研究者などの一部の専門家、大学、そして図書館が購入する。
高価な本が購入できない研究者、初心者は主として図書館でこの本を手にすることとなる。

図書館の一番重要な役割はこの部分だ。基礎的な研究や専門的な研究など、研究者がごく一部の人を対象に書いた本、高価で少部数しか発行されない本を、お金のない人も無料で閲覧することができる。学問の機会均等を保つために、非常に重要なことだ。
もちろん、高度な専門研究を、図書館だけでできるわけがないが、少なくとも初心者、中習者が、専門書に触れる機会は主として図書館なのだ。

閉架図書として所蔵している場合が多いが、日本の主要な図書館は、こうした巨大な「知のバックグラウンド」を持っている。図書館の役割は日本の学問レベル、知的レベルを維持するうえで、非常に大きい。

しかし、最近の人々は図書館を「市民サービス」の一つだと思うようになっている。市民が気楽に立ち寄って読書をしたり、調べ物をする。もちろん、それも重要な機能だが、それは図書館が本来整備してきた機能のほんの一部分でしかない。

図書館は本来、本の購入予算の多くを「専門書」に充ててきた。しかし今、市民は「もっとベストセラーや雑誌を買ってほしい」というようになった。
「年に数人しか見ない高い本より、村上春樹の本をたくさん買ってほしい」みたいな意見が、多数を占めるようになった。
市民の中には図書館とは「本をタダ読みする場所だ」と思う人が増えてきたのだ。

自治体の中にはそういう声に阿って図書館をもっと利用しやすく、ポピュラーなものにしようとする動きがある。

佐賀県武雄市がTSUTAYAのCCC(カルチャー・コンビニエンス・クラブ)に市立図書館を委託したのはまさに、そういう流れからだ。
2013年の委託以来92万人の来場者があった、これは従来の3.6倍だった。図書館は活性化した。
このプランを案出した市長のクリーンヒットとされ、岡山県高梁市、山口県周南市、愛知県小牧市などが導入を検討し始めた。

しかし市民グループの調査で、CCCの図書館運営の実態が明らかになった。リニューアルに合わせて購入した1万冊のかなりの部分がラーメン本、古いハウツー本など「ごみ同然」の古本だったのだ。ネットで買い集めたこれらが新しい書架を埋めていたのだ。

CCCは、運営を委託されれば当然、コストダウンを考える。CCCの担当者は「本棚が埋まりゃ、なんでもいい」と言う感覚で、ネットから本を集めたのだろう。
1万冊の本を購入する予算は、通常の図書館であれば、1000万円以上になるだろうが「ごみ本」であれば、極端に言えば、数万円でも購入が可能だ。
Culture ConveniennceClubといいながら、この企業が、文化のことなど何も考えていないことがはっきりわかる。
おしゃれで知的で格好良さそうだが、中身はからっぽという、現代のカルチャーを体現している。従来の重厚で難解な「文化」「芸術」をスルーして、子供でも分かるアニメや漫画を「日本文化だ」とする風潮が追い風になっている。

これまでも、大学や自治体は、図書館の企画や内装、書籍の購入を一般企業に委託してきた。今は大日本印刷の傘下に入ったが、丸善がその代表だ。
洋書にも日本の出版物にも強い丸善は、図書館にふさわしい本をリーズナブルなコストで購入し、自社で設計したオリジナルの書架に入れて納品してきた。必要に応じてカフェなどの店舗開発もした。東京駅丸の内の「オアゾ」にある丸善は、アンテナショップでもある。
当然のことだが、丸善への発注者は「どんな書籍を求めているか」をリストアップして発注した。図書館の「命」は、書籍だから、それを一番重視した。そして本を入れる「入れ物」として、図書館のデザインを依頼したのだ。
しかし武雄市は、書籍の購入と言う一番重要な部分を「丸投げ」した。

武雄市の樋渡啓祐市長は官僚上がりだが、「佐賀の橋下徹」の異名もある新自由主義的な色合いの強い政治家だ。そのうえCCCとの癒着も取りざたされている。

こうした内実があきらかになるにつれて、CCCの図書館ビジネスへの疑問の声が上がっている。これは健全なことだ。
CCCの図書館ビジネスは、再考を迫られるだろう。

しかしながら、大きな流れとしての「図書館の軽量化」は進行すると思う。本来の図書館の役割を知らない人が増えて、「大衆化」が進むのは、もう止められないと思う。

今、日本はノーベル賞ラッシュに沸いているが、これは戦後の日本が各分野で「実用」に走らず「基礎学問」をしっかり構築したことが大きい。さらに言えば、明治維新後の日本が「学問」を尊び、寝食よりも「教育」「学び」を重視してきたことが大きい。
「知のすそ野」が、近代学問の先進地である欧米に匹敵するくらい広い。だから頂点も高いのだ。

しかし今の日本は、そうした「何の役に立つかわからない学問」を軽視しつつある。独立法人化に伴う大学の独立採算への移行なども、それに拍車をかけている。
そして学問への「入口」である図書館の変質も、その一つのあらわれだと思う。
CCCの図書館事業は、多少は見直しがかかるかもしれないが、今後も進展するのではないかと思う。
それとともに、図書館は「大きなネットカフェ」になっていくだろう。

「図書館」のありようが変わるとき、日本は知のレベルで二流国になるのだと思う。


私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひコメントもお寄せください!