北の湖敏満は、昭和後期を代表する大力士だった。北海道、有珠山のふもとから出てきて中学時代に三保が関部屋に入門し、卒業前に幕下に昇進、本場所中は学校を休んで相撲を取っていた。
18歳で十両に昇進。昇進直後の力士会の会合では、まだ現役だった同郷の横綱大鵬の祝福を受けている。二人の大横綱は対戦はなかったが、同時期に白いけいこ廻しをつけていた時期があるのだ。

このころの三保ケ関部屋は、大阪春場所では上本町の寺に泊まっていた。上六のパチンコ屋「いせや」がタニマチで、ここの大将に頼んで稽古を見せてもらったことがある。
元増巳山の待乳山親方に「子供が来るんじゃない」と言われたが、何とかもぐりこんだ。
部屋頭はけたぐりで鳴らした大竜川。同門の春日野部屋から栃東(先代)や、栃王山が出げいこに来ていた。記憶にはないが親方の息子で同期の増位山(当時は沢田のはず)もいたはずだ。
白い廻しの北の湖は、圧倒的に強かった。色のついた稽古廻しの取的を文字通りぶっ飛ばして、羽目板に叩きつけていた。
背は高くはなかったが、当りが強烈で、俊敏だった。何よりあの細い目のきつさに圧倒された。

すぐに幕内に上がったが、低迷した時期があった。あたりは強いが、もともと反身で、懐に入られると弱かった。また、高見山には歯が立たなかった。逃げずに正面から当たる北の湖は、高見山にはお客さんだった。
1972年7月場所、高見山は外国人力士初の優勝を遂げるが、4日目に北の湖を苦も無く降している。
北の湖が強くなるのは、翌年九州場所、関脇で高見山を降して10勝5敗で殊勲賞をあげてからだ。
翌年春場所に大関昇進、9月場所には横綱に駆け上がる。

北の湖は弱点だった「反身の体勢」になる前に、自分有利になることでこれを克服した。勝ち味が早くなったのだ。もともと左四つ、右上手のオーソドックスな相撲だったが、相手に合わせてかちあげたり、張り差しをしたり、立ち合いの工夫をするようになった。
意外に言及されていないが、右からの上手投げも強烈だった。
相撲教習所に通っていた新弟子時代、北の湖は座学の成績が首席だったという(先代貴乃花もそうだった)。彼は1301番に及ぶ総取り組みの内容をすべて覚えていたと言われるが、その抜群の頭脳を土俵で活かし始めたのだろう。

横綱になってからはまさに無敵。
北玉時代(横綱北ノ富士、玉の海)が玉の海の急死でとん挫した後、土俵は貴輪(先代貴乃花、輪島)時代になると言われたが、北の湖はこれに割って入り、輪湖時代を築いた。
先代貴乃花にとっては、北の湖こそが最大の壁だった。
1975年春場所、貴乃花は北の湖と相星の13勝2敗、決勝戦で貴乃花は北の湖の右腰に食らいつき、反身にさせて寄り切って初優勝を遂げた。
しかし、貴乃花はこれで力尽きて、横綱を腰に巻くことはなかったのだ。
私はこの日が公立高校の合格発表の日、自分の受験番号がないことを確認して、電車に乗る気もせずにとぼとぼと当てもなく歩き、見知らぬ電気屋の店先でこの一番を見たことを覚えている。

北の湖が土俵に上がると「負けてやれ」の声が飛んだ。それは、我々が知らない昭和初年の大横綱玉錦三右衛門を想起させるものだった。その声を浴びながら、傲然と肩をそびやかす北の湖は、後光がさしているようだった。負けた相手に手を差し伸べない、ダメ押しをする。そうしたふてぶてしさが魅力でもあった。

同年代の若乃花(二代目)、栃光、大錦、麒麟児とは「花のニッパチ」と並び称されたが、実力、実績ともに別格だった。

狡猾な輪島には何度か苦杯を飲んだが、輪島は優勝14回、北の湖は24回、その差は明白だった。
2歳下の千代の富士は、最初は相手にしなかったが、横綱同士になると好勝負を演じた。

土俵入りが美しかった。便々たる太鼓腹を落ち着かせ、下半身を土俵にぐっと沈める。背中は反り返らず、前かがみにもならず、自然に丸みを帯びた。ゆったりとしたせり上がり。
玉錦はやや前かがみ、大鵬はやや反身だったが、北の湖は、常陸山、双葉山の流れをくむ雲竜型の理想形だった。

土俵晩年は怪我が多く優勝回数は意外に伸びなかったが、数字以上に偉大な実績を残した。大鵬幸喜に次ぐ一代年寄の栄誉は当然のことである。

kitanoumi


角界の保守本流たる出羽一門に、佐田の山以降人材がいなかったために、出羽一門では傍流の大阪相撲系統の三保が関部屋出身ながら理事、理事長へと出世。

残念ながら、引退後の事績は芳しいとは言えない。
同じ出羽一門の春日野理事長(横綱栃錦)の才気も、出羽の海理事長(横綱佐田の山)の育成力も見せることはできず、その後起こったさまざまな不祥事に際しては防戦一方に終わった。
全くの不肖の弟子金親のスキャンダルが寿命を縮めたのかと思えば、情けなくなる。
昔は還暦で赤い綱を締めることができる元横綱は稀有だったが、今はそんなことはない。早死にだったと思う。

初めて生でその雄姿を目にしてから45年、私は北の湖敏満を忘れない。


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