社会人になって、というか学生ではなくなって33年が経つ。このうち18年は正社員だった。正社員と非正規労働者、どちらが良かったかと聞かれれば、圧倒的に後者だ。
人と同じことをすること、帰属意識を求められることが大嫌いな私は、所詮、サラリーマンには向いていない。
経済的な不安定や、ステイタスの低さはあるにしても、非正規労働者は自分の時間は自分で使える。正社員は、1日の大半を会社にキープされる。囲われている居心地の悪さは、今思い出しても身震いがする。

なかでも嫌だったのが「会議」だ。いい年だから、これまでいろいろな会議に出たが「あれは良かったな」と思ったことはほとんどない。「ああ、また会議か」とため息ばかりついていた。

一番うっとおしいのは「御前会議」。社長や事業トップの前で、各部門が順番に報告をしていくあれである。
とにかく時間がかかる。一部門15分でも4つで1時間。会社にもよるが、2~3時間は当たり前。
私はどこの会社にいても「営業企画」「広報」「販促」などだったから、たいてい後回しになる。
「営業」「開発」みたいな部署の報告が終わってやっと順番が回ってくる。
私は「手ぶら」で出るのが嫌いだから、資料を用意していく。それなりに力を入れて作っても、3時間も経過した後ではみんなだれているからちゃんと見てくれない。
トップだって、会社の根幹に関わると思っていないから、適当にしか聞いてくれない。
私の番になったとたん、ナンバー2に「あとやっといて」と言い残して、トップが席をはずすことだってあった。
トップのご機嫌斜めな時もたまらない。そういうときに限ってバカな報告をするやつがいるのだ。地雷を踏んで延々叱られたりする。

地方の会社で、すごいおじいさんの経営者の「御前会議」に出たこともある。
その社長は社員からソフトのバージョンアップの必要性を説明されて「こないだ8.0をかったばかりではないか。次から次に買い物をする。10.0にするのは8.0を使いこなしてからだ!」と怒り出した。おもちゃかなんかと思っていたのだ。
老社長は、会議の最後に、ITの日進月歩の進化について「長篠の戦」を例に出して滔々と話し出した。「武田勝頼は・・・」こんな話を聞くために、こんなところまで来たのかと思った。

「営業会議」も嫌だった。そういう会議にも営業企画とかで、端っこで参加する。会社にもよるが、営業職はとにかく「売る」ことには熱心だが、計画を立てたり、フォローをすることにはあまり熱が入らない。
「来週までに考えておこう」「この資料を作成しよう」と決めても、やってこない人間が多かったりするのだ。
そういう部署だからかもしれないが、トップが案件を持ち帰らさず、その場で考えさせることも多かった。
ホワイトボードに「○月の販売計画」などと大書して、表のフレームを書き、一個一個埋めようとする。今どきのホワイトボードにはコピー機能がついているから、書き留める必要はないが、昔は一つ一つ書いていた。
大体そういう記録は企画系がやらされる。販売計画に参画してなくても、途中で抜けられなくなるのだ。
終電が終わっても会議が終わらず、真夜中に終わってから明け方まで飲んだこともある。

行政と市民の会議にオブザーバーや第三者として参加することも結構多かった。
こういう会議にサラリーマンが出ることはあまりない。商店街のおじさんや農業など、比較的時間が自由になる人が出席する。
こういう人は会議の経験があまりないからルールを知らない。
続き物の会議で、話を進めようとすると、市民代表から
「俺は聞いていない」という声が上がることが多かった。
出席していない委員には、議事録を送付するのだが、そういうのを読んでくる人はあまりいない。
行政の議事録は細かい字でびっしり書いているのも多いから、「サマリー(まとめ)をつけた方がいいですよ」とつけてもらったことがあるが、それでも「聞いていない」という声が上がる。決めたはずのことが蒸し返されて迷走することもよくあった。
行政はこういうことに慣れっこになっている。住民に期待も信頼もしていないことが、ありありとわかったりする。

会議というのは本当に非効率なシステムだ。
一日に2本も予定されれば、それで潰れてしまう。
そういう日は、よく同僚と「今日は会議好きにはこたえられませんなー」と言い合ったものだ。
実際、世間には会議が大好きな人もいるのだ。長々と会議をして仕事をした気になる人もいる。私には理解不能だ。

私はどんな会議でも書記を積極的に買って出た。会議に集中できるし、人の発言をまとめて文章化するのは、大いに文章の勉強になるからだ。
ノートパソコンを持ち出してからは、オンタイムで入力した。結果だけを書くのではなく、発言者のやり取りをコンパクトにまとめて書くのは、文章のよい練習になる。

私は広告屋だったので、カメラマン、デザイナーとチームを組んで取材をよくしたが、仕事が終わってカメラマンが「映画でも見て帰ります」というのが、本当にうらやましかった。こっちは会社に帰って会議だ、と思うと泣きそうになった。

私自身が会議をするときは、できるだけ短くしようと心掛けたつもりだ。要領の悪い説明をする人には、事前に話を聞いてコンパクトにするように言ったりもした。
ただ、それでも長引くことがあった。
会議は民主主義には不可欠だが、民主主義の非効率さを象徴しているようにも思う。

会議とは
「いかに短い時間で“合意を形成するか”」というゲームだと思いたい。そういう意識で、会議をシェープアップすべきだと思う。

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