大関は、明治中期まで相撲の最高位だった。大関の中で力量品格抜群の力士が、横綱をつけて単独で土俵入りすることを許された。だから昔の横綱は横綱土俵入りをしても、番付上は大関だった。
このあたりの関係、旧日本軍の軍制の大将と元帥の関係に似ている。元帥は大将の中から「老功卓抜ナル者」を「元帥府に列した」のだ。

しかし1890年に初代西ノ海嘉治郎の名が「横綱」として番付に載ってからは、極位ではなくなり、2番目の地位になった。
しかし大関は、昇進も、降格も、一場所ではなく、2~3場所が必要で、それだけ重い地位だ。
相撲雑誌などでは大関を「企業の平取締役」に例えていたが、これなどよくその地位の色合いを表している。
「平取締役」同様、大関は、すぐには陥落しないので、地位に甘んじて停滞することが多い。9勝6敗が多い「クンロク大関」などという言葉もある。

大関には3種類あると思う。
一つは、「横綱への通過点」としての大関。大関から横綱になるには少なくとも2場所が必要だ。最近はさらに慎重になっているが、大関から横綱まで1年を要しないような力士は「通過点の大関」と言えよう。スピード出世した横綱はそれだ。

もう一つは「まぐれ大関」。きついいい方だが、何かの拍子で関脇で勝ちこんで、大関の数も少ないなどの運もあって、大関に昇進したタイプ。大関の地位を持ちこたえるのが精いっぱいで、カド番になることを繰り返す。時には陥落することもある。
私はすぐに先代三保が関の増位山の顔を思い浮かべる。この大関は44勝44敗の5割。わずか1年で引退した。
今で言えば豪栄道もそうだろう。体も小さいし、相撲っぷりも小さい感じがする。大関になって二けた勝利はなし。8勝が5度、9勝が1度、負け越しが今場所含め3回。

そして「名大関」。横綱に上がるほどの勝ち星は上げないが、二けた勝利はマークする。カド番にもあまりならず、長く大関を務める。さらに個性がはっきりしていて、特色がある。
大関時代の勝率が6割あれば名大関ではないか。魁皇(勝率.615)、貴ノ花(.603)、清國(.613)などの名前が浮かんでくる。最近は横綱昇進の基準が厳しくなったので、大関の勝率が高くなっている。稀勢の里など.688もある。この力士はやたら不甲斐ないように思うが、名大関ではある。

「名大関」と「まぐれ大関」の間には、どちらともつかない大関が、層となってならんでいる。

琴奨菊は今場所千秋楽時点で勝率.592。「名大関」になるかどうか、というクラスの大関だ。
31才であり、ふつうであれば緩やかに衰えて、引退するのが普通だが、この力士はここへきて踏ん張り始めた。

相撲が変わったわけではない。しかし吹っ切れた感じはする。強く当たって左を差し、がぶり寄りで一気に攻め立てる。そこに迷いがない。体調がよいから、いなしやはたきにもついていく。
元々、実直で好感度の高い力士だったが、例のイナバウアーも心持威勢がよくなった。
結婚したことが彼のモチベーションを変えたのかもしれない。

kotosyougiku


役員定年間近だと思えた平取締役が、突如大きな功績をあげて。社長レースに名乗りを上げたということころか。

今から44年前、琴奨菊と同じように「確変」をして、突如優勝し、その勢いで横綱に駆け上がった力士がいる。
琴奨菊の最初の師匠であり、今の師匠琴ノ若の義父に当たる琴櫻だ。琴櫻も「ウバ桜」と呼ばれるロートル大関だったが、32歳で優勝し、横綱になった。

琴櫻も琴奨菊と同じ「四つ身の押し相撲」だ。
琴櫻は182cm150kg、琴奨菊は179cm180kg。どちらも短躯であんこ型だった。風貌もよく似ている。

時代背景もよく似ている。琴櫻の時代は大横綱大鵬が引退、後継者たる玉ノ海も急死し、北の富士はいるものの、時代の転換期だった。
白鵬の衰えがはっきりした時代にいる琴奨菊と境遇はよく似ている。

ただし人気は、琴櫻より琴奨菊の方が上だ。九州での声援は実に素晴らしい。

10年ぶりに日本出身の力士が優勝したこともあって、注目度は高い。この歴史的意義は大きい。
大阪の春は、この茫洋とした風貌のロートル大関が、最大のスターになるのではないか。



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