何度か野球のサイトで「言論の自由」について取り上げた。その都度ショックを受けた。
今の若い人は「言論の自由」について学んでいないのだ。

「言論の自由」は、民主主義を維持発展させるために必要な、権利の一つだ。
それは単に何を言ってもよいということではない。
国家権力や、権力に近い存在に対して、自由に取材をし、報道をする権利のことだ。
直接的には、自由に出版をする権利でもある。

絶対的権力は、絶対的に腐敗するという言葉がある。
どんな政治体制であれ、権力者は、権力を行使することで、さまざまな特権を手にする。
そして、自らの意見に賛同する層に対して優遇するようになる。権力者からすれば、自分が正しいのだから、それに賛同する人を優遇するのも正しい行為だと言うことになるが、しかしそれは批判層を冷遇することをも意味する。
こういう形で権力は、反対勢力を遠ざけるようになる。その状態が長引けば、反対勢力を弾圧したり、私腹を肥やしたりするようになる。「腐敗」は、権力に内包されているのだ。

メディアは、権力の不正や問題点を見つけ、それを報道することで、腐敗を防ぐ使命を帯びている。
「言論の自由」とは、国民の「知る権利」を代行することであり、調べたことを洗いざらい報道する「自由」のことだ。

「言論の自由」は、権力の無謬が前提となっている社会主義や共産主義体制では存在しない。
こういう体制では権力はいつも正しく、メディアはその言うことをそのまま伝えるだけだ。

「言論の自由」は、民主主義体制で生まれ、大事にされてきた権利だ。「言論の自由」が発達しているのは、欧米だ。

民主主義とは、民意によって政権交代が可能な政治体制だ。そのために、人々にはいつも、新鮮で、オープンな情報が届けられなければならない。権力の不都合な部分が隠蔽されたり、反対勢力のネガティブ情報が不必要に強調されたりしてはならない。
「報道の公平性」とは、本来そういう意味だ。

権力は、自らに有利になるように、ルールを変更したり、曲解したりすることができる。メディアはそれを監視し、不正があればそれを暴くことが求められているのだ。

日本では「公平な報道」という言葉が、おかしな解釈をされている。政権与党と野党を平等に報道することが「公平な報道」だと思っている人が多い。

しかし、もともと権力側と反対勢力は、イーブンの関係ではない。権力側は有利な立場にあり、自分たちでルールを曲解することができる。政権側と反対側を同量伝えることが「公平」であるとは限らないのだ。

例えば、賛成30%、反対70%の政策があったとする。これを報道するときには、どのようにするのが「公平」なのか。賛成、反対を同量ずつ報道するのは、賛成側を利することになるはずだ。

自民党政権は、朝日、毎日、東京など「政府に反対する意見をより多く報道する」メディアに対して「放送法に違反している恐れがある」と圧力をかけるが、産経や讀賣など「政府寄りの意見をより多く報道する」メディアを「政権側に偏っている」と非難することはない。
政権は「報道の公平性が侵害されている」からではなく、「自分たちに不利な報道がされている」からメディアに圧力をかけているのだ。

「平等に報道すること」など、実際には無理なのだ。
「報道の公平性」とは、メディアが自らの良識に照らして正しいと思うことを、そのまま伝えることだ。そしてその選択を市民にゆだねることだ。
民主主義体制では、メディアも自由に立ち上げることができる。多くのメディアが、それぞれ自分の思うところを報道し、それを市民が自由に選択する。
こういうことだと思う。

さらに言えば、メディアは「相手が伝えたいこと」だけではなく必要とあらば「伝えたくないこと」「隠しておきたいこと」も伝えることができる。
「必要とあらば」とは、権力が不正を働いたり、権力者が公序良俗に反することをしていたりすれば、ということだ。

その事実の重さによっては、法を犯すことさえ許されることがある。
「ウォーターゲート事件」ではワシントンポストのウッドワードとバーンスタインは、不法侵入や不正な方法での情報入手も行った。しかし、「大統領の陰謀」を暴いた報道によって、小さな違法行為は看過された。

日本では、こうはいかなかった。
「西山事件」では、毎日新聞記者西山太吉は、沖縄返還時の日米密約についての情報を取るために、外務省女性事務官と「不適切な関係」になった。これによって、自民党政権が国民に知らせることなく、アメリカに有利な密約を結んでいたことが明らかになった。しかし西山太吉と女性事務官は裁判で有罪となり、西山は新聞社を去ることとなる。

日本の民主主義の不完全さをここに見ることができる。

「言論の自由」「報道の自由」は、これまで十分に認知されることがなかった。
「民主主義」や「言論の自由」は、日本では「反体制」「赤」などの言葉であるかのように思われてきた。

「お上の言うことに盾突いてはいかん」「国家や社会には従順であれ」という戦前の徳目がまだ生きていることも大きいだろう。
そして確かに、これまでの自民党政権は、問題は多々あったが、アジアの他国に比べればそれほど腐敗しなかったのだ。
「良かった」とは言えないが、他国に比べれば「まし」な政治をやってきた。これまでメディアに対して、露骨な圧力を賭けなかったのもその一つだった。

安倍晋三政権は、戦後最悪の政権だと思う。
言論に対する露骨な圧力もその表れだ。残念なことに、今の人々は「言論の自由」の本当の意味が分からないので、政権の圧力に対して危機感を持っていない。

今、日本は言論の自由度で世界180か国中61位。先進国としては極めて低い位置にいる。
高市早苗の「停波」発言は、最悪の政権の「本音」なのだ。民主主義の危機であることを知るべきだ。

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