世の中にたえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし

在原業平がこの歌を詠んだのは9世紀半ばのことだ。このころから桜は春の日本人の心をざわつかせていたのだ。


桜はバラ科の落葉樹。古代から人々に愛された木だ。

同じバラ科で近縁の梅も古くから日本にある木だが、こちらは中国文化とのかかわりが深い。「ウメ」は、中国語の「メイ」に日本特有の鼻音の「ウ」がついたもの。中国語の「マ」に鼻音の「ウ」がついた「ウマ」などと同様だ。

古代では梅の方が桜よりも知的なイメージがあったようで、
菅原道真の

東風吹かば にほひおこせよ梅の花 主なしとて 春な忘れそ

など、梅を詠んだ歌も多い。庶民は桜、知識人は梅を愛すという感じだったようだ。

長唄「娘道成寺」には

梅とさんさん桜は いずれ兄やら弟やらわきて言われぬな 花の色え

という一節がある。
梅と桜がよく似ていて色では区別がつかないという意味。桜より早く咲く梅は、「桜の兄」と言われるようになった。寅さんではない。
歌舞伎「菅原伝授手習鑑」では、道真の舎人三兄弟は、梅王丸、松王丸、桜丸の順である。

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中世以降、桜の人気は梅を圧倒するようになる。
早春に咲く梅よりも、温かくなってから咲く桜の方が、春のうきうきした雰囲気をあらわす花としてふさわしい。

西行法師の

願わくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月の頃

などは、春という季節と桜が一体化したごく初期の歌ではないかと思う。

私が好きな都都逸に

咲いた桜になぜ駒つなぐ、 駒が勇めば花が散る

がある。坂本龍馬が愛誦したという。美しい光景が瞼に浮かんでくる。

これは明治になってからだが

お酒飲む人 花なら桜 今日も咲け咲け 明日も咲け

というのもある。
いつのころからか、春とは「桜がもたらすもの」になっていくのだ。

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明治になって、日本は新暦に改めるタイミングで、年の区切り「年度」を4月に定めた。
12月に締めた決算を集計するのに時間がかかるから3か月の猶予を設けたともいわれているが、私は当時の人々に「寒風吹きすさぶ冬ではなく、春こそが、年の改まりだ。」という認識があったのではないかと思う。
そしてその根底に「春は、桜が咲くから」という意識があったのではないか。
日本人は、桜を愛するあまり桜の咲く時期を「年の初め」に決めてしまったのではないかと思う。

江戸時代中期まで、日本には様々な種類の桜が、思い思いの時期に咲いていた。しかし江戸末期になると「ソメイヨシノ」が急速に全国に広がった。
この桜はクローンであり、同じ気候ではほぼ同じ時期に一斉に咲く。このことも「桜と春」の結びつきを一層強固にしたのではないかと思う。

以後、日本人は、3月生まれと4月生まれ(厳密には4月2日以降)で「年齢が違う」ことになった。1968年4月3日生まれの金本知憲は、わずか2日前の4月1日に生まれた桑田真澄に敬語を使うのだ。

近世には桜は「日本」の象徴ともなっていった。

敷島の大和心を人問はば、朝日に匂ふ山桜花

本居宣長のこの歌は、日本固有の花である桜を日本人に例えている。この花は時期が来れば、潔く散っていくのだ。

明治期の日本海軍は、この歌から軍艦の名前を命名した。
また庶民の安価なたばこのネーミングにもなった。

落語には桜、花見を扱ったものがかなりある。

「長屋の花見(上方では「貧乏花見」)」「花見の仇討」「天神山」「あたま山」
「長屋の花見」は桂文朝、「天神山」は桂枝雀がおすすめだ。

そういえば、噺家の名跡に春錦亭柳桜というのがある。
古今和歌集 素性法師の

見渡せば 柳桜を こきまぜて みやこぞ春の 錦なりける

からきている。実にデコラティブだ。

時代が下ると桜は軍国主義の象徴にもなる。

「同期の桜」は

見事死にましょ国のため

と歌い、
「桜花」という特攻専用の飛行機さえ作られた。
「桜花」はアメリカでは「Baka Bomb」と呼ばれた。

桜は「同調圧に弱い日本人」の象徴にもなったのだ。

驚くべきことに、日本の社会がすっかり変貌し、人々の嗜好や感性が激変した現代でも、桜にかかわる歌は数多く作られている。

さくら 森山直太朗
さくら ケツメイシ
桜 河口恭吾
桜 コブクロ
サクラ色 アンジェラ・アキ
桜坂 福山雅治
SAKURA LIVE いきものがかり
サクラサク 北乃きい
桜の栞 AKB48
桜色舞うころ 中島美嘉
SAKURA レミオメロン
サクラビト Every Little Thing


枚挙にいとまがない。

日本人には、桜に季節を感じ、人々の思いや時の移ろいの物語を感じるDNAが深く埋め込まれているのだろう。

37年前に私の父母が家を買ったときに、不動産屋が祝いとして庭の隅に桜の木を1本植えた。2年もしないうちに3mほどの高さになり、枝を横に張り始めた。
「このままでは、庭が暗くなってしまう」と思った母は、町会長の承認を得て、桜を道向かいの児童公園に移植した。
今では5mの巨木になり、公園を覆わんばかりの勢いだ。春には、町内会のお花見が行われる。「あんたのお母さんが植えた木やで」などと言われる。
その母も今は亡い。

と、なれば美しい物語だが、83歳になる母は因果と元気で「馬賊」と言われた我の強さを今も発揮している。
昨日も我が嫁に電話をして、亡父や兄嫁(手束仁さんの母)などの話を高速でまくし立てたという。

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