桂歌丸が「笑点」の司会を勇退するという。何か感動話のようになっている。私には、ようやく、という感が強い。
桂歌丸は、「笑点」の草創メンバーの最後の生き残りだ。他には林家こん平が存命中だが、病気で高座には上がっていない。
丁度50年も人気番組に出演し続けたのだ。もうそろそろいいでしょうという感がある。
メンバーの変遷を作ってみた。

Syoten2016


「笑点」は、立川談志の発案である。主任が弱いときなどに寄席の余興として行われてきた「大喜利」をテレビでやってはどうか、と提案したのだ。
1965年、「金曜寄席」と言う名前でスタートしたこの番組が好評だったので、「笑点」と名前を改め再スタートしたのだ。
「笑点」と言う名前は、当時の朝日新聞の連載小説で人気を博していた三浦綾子の「氷点」のパロディだ。もう本歌ともどもわからないだろう。

立川談志は、「現代落語論」で、「これから寄席芸は、他の芸能だけでなく、スポーツや世界のできごとなどとも競合しなければならない」と説いていた。
「大喜利」はそうした他のコンテンツと寄席芸が渡り合うための「武器」だったのだ。

談志は「笑点」を始めるにあたって、小金馬、歌奴、柳昇、三平、円鏡などの当時の人気噺家を選ばなかった。
談志自身が実力を認める出世前の若手を寄りぬいたのだ。

先代圓楽、歌丸、小痴楽、こん平、小圓遊、落語協会、落語芸術協会を問わず選ばれたメンバーは確かにキャラが立っていた。
その慧眼には敬服せざるを得ない。

ただ、当時若手本格派のトップランナーだった古今亭志ん朝、春風亭柳朝、そして談志の同門の俊秀柳家小三治を選ばなかったのは、彼のライバル心からだろう。
「笑点」のメンバーは俊秀だが、全員「談志よりは力が下」だった。

しかし初期の「笑点」は、視聴率が伸び悩む。談志の司会は機知に富んで優れたものだったが、ハイブロウすぎた。談志とメンバーの対立も起こる。
わずか2年で談志は司会を投げ出し、「笑点」は見直しがかかる。最初のメンバーも一度は全員クビになり、新しい顔ぶれとなる。

第二期の顔ぶれは、一言で言えば「反談志派」ともいうべきものだった。
歌奴(現圓歌)、金馬(元小金馬)、かゑる(現鈴々舎馬風)らは、談志をはじめとする「実力派」とは相いれない噺家だった。
後に「実力派」の惣領たる三遊亭圓生が柳家小さん会長の落語協会とたもとを分かったときに、圓生の側につかなかった噺家たちと言ってもよい。

しかし芸の腕では劣るこれらの噺家のレギュラーの期間は短かった。このあたりの事情はよくわからないが、初期のメンバーが返り咲き、今の「笑点」の基本形ができた。
このとき小燕枝は他の演芸番組のレギュラーになっていたため呼ばれず。代わって林家木久蔵(現木久扇)が抜擢された。また圓生門の実力派の圓窓も抜擢された。

恐らく、背後で談志が動いたのだと思う。談志の盟友だった先代の圓楽が、和解を呼びかけたのだろう。
司会は前田武彦から三波伸介と変わる。噺家を司会にしなかったのも、噺家同士の力関係が影響していると思う。

初期の「笑点」の名物は、歌丸と小圓遊の「犬猿の仲」だったが、小圓遊は急死、また圓窓も抜ける。さらに、司会の三波伸介が急死。
圓楽は前述した圓生の落語協会分裂騒動の時に、師匠に伴って協会をでて一派を立てたが、この時期に「笑点」の実権を握ったようだ。
自身が三波伸介の後任の司会に収まり、弟子である三遊亭楽太郎、預かり分の林家九蔵(現三遊亭好楽)をメンバーに入れる。同門の圓窓が「笑点」を抜けたのも、圓楽との対立関係からだろう。
古今亭志ん朝門の桂才賀も抜擢されるが、後に抜ける。師匠の後ろ盾がなかったからだろう。
三遊亭小遊三が入ったのは、芸術協会との力関係によると思われる。
また立川流から誰も選ばれなかったのは、この時期から談志と圓楽が疎遠になったのだろう。

以後、「笑点」は、欠員が出ればそれを補充する形で続いてきた。
林家こん平が病に臥せると、弟子のたい平が抜擢され、圓楽が出演できなくなると春風亭昇太が抜擢された。
落語協会、芸術協会のバランスがうまく保たれている。
しかし実権は先代と当代の圓楽のラインで受け継がれているはずだ。

「笑点」は綿密な台本があることで知られる。アドリブはほとんどない。圓楽は、リハーサルでも本番でも同じ答えを聞いて爆笑できることで有名だった。
言い換えれば、ネタは放送作家が作ってくれるので、いちどレギュラーになれば大きな破たんはない。

「笑点」のレギュラーになると、最も客が入る上野鈴本の定期出演が約束される。新宿末広もほぼ決まる。池袋演芸場、浅草演芸ホールはそれほどおいしくないが、一門の出番も増える。
独演会やホール落語、テレビ出演も増える。一生食いっぱぐれがなくなる。
まさに利権だ。だから、出演できなくなるまでその座にしがみつく。良いことかどうかはよくわからない。

半世紀前は、落語と言う芸能は、都会の人だけの楽しみだった。
しかし「笑点」が大人気になったことで、今では、落語家を知らない日本人はいない。
ただ地方では「落語会」のメインイベントは「大喜利」だと思っている人がいる。座布団を取ったり与えたりするのが「落語」だと思っている人もいる。

スタートから半世紀、立川談志も三遊亭圓楽も死んだ。「笑点」は功罪半ばする存在になったと言えるのではないか。


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