東京の街を歩いていると「家系」とか「次郎」とかいうラーメン屋があって、行列ができていることがある。私はああいうのに心を動かされることはない。


ラーメンというのは「刷り込み」の味だ。最初に食べて「うまい!」と思ったら、その味がスタンダードになってしまう。たいてい同じ系列の味が好きになり、その味が「一番」と思ってしまう。
実際には、そんなにうまい食べ物ではないと思う。店主によってはすごい修業をしたとか、ものすごい食材を使ったとか言っているが、そこまでの食い物ではないだろう。

東京で行列のできているラーメン屋は、だしの匂いをそこら中に漂わせている店も多い。イワシだ、サバだ、マグロだ、といっているが、乾物屋の店先のような匂いをさせている店の味は大体察しが付く。

昨年、台湾の桃園で「一風堂」のラーメンを食べた。一切妥協せず日本の味を追求したのが売りの店で、メニューは日本語、ホールスタッフも日本語で話す徹底ぶり。お客の大半は台湾人だ。日本の感覚でいえば数千円にもなる高い食べ物になっていたが、結構流行っていた。彼らがそこで食べていたのは「優越感」だろう。まあまあおいしかったけど。

ラーメンというのは「この味がうまい」「これが一番」とことさら肩ひじを張って主張することでおいしくなる食べ物だ。
私は大阪市西区江戸堀の「江戸堀ラーメン」がひいきだ。豚骨系の程よい味だが、主張はあまりない。他の人が食べたらなんだというかもしれない。店は取材されるのが嫌なようだ、雑誌などに載ったことはない。でもそれでいいのだ。私は一番だと思っている。

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京都駅の東側に、「新福菜館」というラーメン屋がある。ご存知の人も多いだろうが、しょうゆ系。真っ黒な汁に縮れのない太めの麺。ネギや脂の多いチャーシュー、メンマという構成。しょっぱそうだが、食べてみるとそれほどでもない。しょうゆの香りがたって、すっきりした味わいだ。
私はこの店の取材をしたことがあったが、親父さんは京都の「やんちゃ」を店で修行させて、一人前の大人にするような人だった。一本気なところもいい。

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この店のもう一つの売りは焼き飯。おそらくはラーメンスープを使っているのだろう。これもずず黒い。食べるとラードの味が濃厚にする。体に悪そうだな、と思うが、病みつきになる。40代までは京都で飲んで帰れなくなるとサウナに泊まって朝方ここのラーメンと焼き飯を食べて帰ったりした。こうして着々と中性脂肪を蓄えたのだ。

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最近は、さすがにこのセットがしんどくなった。
今年になって私はお寺の本を出したが、ある雑誌社が取材してくれた。京都で取材を受けて、東京へ帰るというので「ラーメン食べませんか」とこの店に誘い、ラーメン2つと焼き飯を1つ頼んだ。
「京都で話を聞きたい」と相手が言ってきたときから、私はこのプランをずっと温めていた。二人で「新福菜館」へ行くチャンスはこの時しかない。焼き飯を半分だけ食べるチャンスはこの時だ、と。
初対面で食事をおごってもらった記者氏は恐縮していたが、何、相手は誰でもよかったのだ。
そうまでしてまで「ラーメンと焼き飯」を食べたかったのだ。

ところで、「新福菜館」の隣には「第一旭」というラーメン屋が並んでいる。こちらは豚骨系で、それなりに有名な店だ。
ある時期までは、「新福菜館」には長い行列ができ、「第一旭」の行列が短かった。
私はそれを見ながら「ばかめ!」と心の中でつぶやき、少し優越感を抱いて「新福菜館」のラーメンを食べた。

しかし最近は「第一旭」の行列のほうがかなり長くなり、「新福菜館」は日によっては待たずにはいれるようになった。
しかし私はその現実を見ても「味のわからん奴が増えたものよ」とほくそ笑んで、「新福菜館」の味を楽しんでいる。
恐らく、「第一旭」の列に並ぶ人の中には「まだあんなラーメンを喜んで食べているのか、ばかめ」と思っている人もいることだろう。

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どっちもどっちである。
そういう風に「相手よりも俺のほうがうまいラーメンを食っている」と思うことで、ラーメンの味は1割ほどうまく感じるものなのだ。
ラーメンは、そういう「グルメごっこ」のために存在している。趣味性の高い食べ物だといえるだろう。

みなさんもごひいきのラーメンを食べるときには心の中で「バカめ!」と吠えてみることをお勧めする。いつもより少しおいしくなると思う。
ただし口に出して言わない方がいいとは思う。


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