高畑裕太の強姦致傷事件が、なんとも嫌な印象を受けるのは、ことを起こした高畑が、そのあと平気で寝ていたという点だ。

高畑側は、その事実をもって「合意の上の行為であり、事件性はなかった」かのように言いたてているが、要するに高畑裕太にとって、この手のことは日常茶飯事だったのだ。“今日のおかず”を物色していて、「まあいいや、こいつで済まそう」と女性を部屋に入れたということなのだ。
合意の上と主張するかもしれないが、人を人とも思わぬ、実に不愉快な人間だということが露呈している。

検察が起訴を見送ったのは、高畑の行為に違法性が見られなかったからではない。被害者との間に示談が成立し、裁判を起こしても、被告に不利な発言を引き出すことが難しくなったからだ。100%勝てる確証がなかったから不起訴処分にしたのだ。

恐らく、高畑淳子は被害者に、相場の数倍の和解金を支払ったのだろう。高畑淳子は庶民的で、しっかり者の女性をよく演じているが、家庭人としては明らかに破たんしている。息子をモンスターのような人間にした。そのつけを巨額の金で払ったのだ。

恐らくは息子の芸能界への復帰をもくろんでいるだろうが、事件が事件だけに復帰は難しいと思う。女性を性欲の対象としか見ないような人間は、人様の前に出るべきではない。

坂口良子の娘の杏莉の事件もそうだが、芸能人の中には、ちゃんと子育てができない人が散見される。
家庭、社会での適応の仕方を覚える前に世に出てしまい、一般人の感覚を失ってしまったからだろう。

karahahu10


いわゆる有名人のインタビューをいくつかこなしてきたが、“私はお前なんかと身分が違うのよ”オーラを出す人は確かにいる。受け答えはまともだが、明らかに調子を落として、適当に答えているのがありありだ。
こちらが新聞やテレビではなく、弱小メディアの無名の取材者だからということもあるだろうが、そうすることが有名人のふるまいだと思っているようだ。

だいたい、そういう人は芸能人でも大したことないクラスが多い。ちょっと有名になった程度、ワーキャー言われるほどのこともない芸能人がこういう対応をする。
「私はあんたが多とは違うんだから」をことさら見せつける。

本当のセレブ、大物はそういう態度はとらない。
私は伝統文化の家元や御曹司に何人か話を聞いたが、彼らは聞き手がどんな人間であろうとも、小馬鹿にするようなそぶりは絶対に見せない。
こちらの目を見てきっちりと受け答えをする。実に丁寧で、上品である。
しかし、それでいて本音は明かさない。話を聞き終わると、まるでシャッターを閉めるようにコミュニケーションを打ち切るのだ。そういうしつけを受けているのだなと思う。

下半身の話題と言えば、中村橋之助と祇園芸者の事件が話題になったが、これは高畑や坂口の話とは全く別だ。
役者と芸者は“同業者”だ。明治期までの役者は、男芸者と言われた。金持ちの夫人に「買われる」ような存在だった。ともに疑似恋愛を売り物にして世渡りをしていた。
役者が芸者と関係を持つのは、不倫でも道楽でもなくて、同業者としての「挨拶」のようなものだ。梨園の妻が目くじらを立てるようなことはありえない。三田寛子の対応は役者の妻としてまともだ。

初代中村鴈次郎の芸談を読むと「芸道精進のため、私は19歳で女断ちをしました」という言葉が出てくる。ここでいう「女」とは一般女性ではなく、芸者のことだ。役者にとって芸者と関係を持つのは、酒やたばこと同程度の嗜みだといってもよい。

週刊文春とてそんなことは百も承知。しかし世間の価値観が変わって、そういうことも「いけないこと」になったのをよいことに、今更の話題を明るみに出したのだ。新しい鉱脈を見出した気分ではないか。歌舞伎役者は「えらい世の中になった」と思っていることだろう。


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