電通が「働きすぎ」で、世間の非難を浴びているが、マスメディアが良く平気な顔で報道するなあと思っている。

昔から、マスメディアは夜討ち朝駆けの世界である。人が起きる時間に起きて、おねんねする時間に寝ていてはどんな情報もとることができない。
まして今は、ボーダレスだ。世界中から24時間情報が大量に入ってくる。
それをキャッチして、さばいて、発信する仕事をする人間が「労働時間」を気にしていて勤まるはずがない。
「何人かで手分けしてやってるんですよ」というかもしれないが、情報を分析して自らの切り口で発信するのは、個人の仕事だ。
人の見方と自分の見方は異なるし、表現も、発信方法も異なるはずだ。
ジャーナリズムは「余人をもって代えがたい」仕事の代表だと思う。

「余人をもって代えがたい」仕事は、マスメディアだけでなくたくさんある。
私がいた広告業界もそうだ。デザインやコピーライティング、プランニングやマーケティングなどもそうだ。
また、情報系の仕事もあらかたそうだろう。誰かに代わってもらえるような仕事はそんなに多くないのではないか。

さらに言えば、営業であっても、ルート営業や飛び込み営業以外は、「誰がやっても同じ」ではないだろう。
「あんたと話がしたいんだ」「あんたなら取引する」と言われるような得意先ができてこそ、営業だって一人前だ。

私は広告のアカウントもした。残念ながらコピーもアカウントも「今一つ」の人間ではあったが、それでもクライアントと仕事をするとはどういうことか、はある程度知ることができた。

まだお日様が出ている間の、勤務時間内の打ち合わせだけで、仕事が進むわけではない。

私は大手の酒造メーカーを得意先に持っていたが、その担当課長とは南海ホークスファンという点で共通していて、仕事の後よく一緒に最寄りの西宮球場に試合を見に出かけた。
阪急-南海戦。たいてい南海が負けた。目の前で藤田浩雅のサヨナラ満塁ホームランを見て、飲んだビールも覚める思いで駅のホームまで歩いているとその課長が「あの仕事、なんぼでいける?」と聞いてきた。「朝、見積もり送ります」と返した。そこまで迷っていたのが、ともに敗戦を共有して、うちに出すことを決めたのだ。

こういう仕事も私は十分クリエイティブだと思う(それにしても懐かしい)。

そういうことは仕事の現場では無数にある。仕事の妙味は時間内ではなく、むしろ時間外にたくさん転がっているのだ。
時間オーバーだからと言って「帰りまっさ」というような人間に、仕事の面白さなどわかるはずがないと思う。

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東大出の電通新入社員が自殺したのは「残業時間が多すぎたから」ではないだろう。その仕事が強引に押し付けられたもので、少しもクリエイティブではなく、上司や職場が彼女に配慮をせず、打っちゃっておいたからだろう。

電通とも仕事をした。
あの会社には魅力的な人もたくさんいたが、これがCED(クリエイティブ・エクセレント・電通=バブルのころのブランド名)の社員か、と思うくらい無気力で意地の悪い人もいた。
大きな組織の中には、必ず腐った部分もできるのだ。

そして今の日本社会は、一度会社に入ってしまえば、やり直しがきかない。
その新入社員だって「電通が気に入らないからやめて博報堂に行こう」と思えたなら死んだりはしなかっただろう。
「辞めたらおしまいだ、やり直しがきかない」と思うからしがみついて、追い詰められていったのだ。

大企業の残業規制が厳しくなったら、その仕事はタイムカードを押さない非正規社員や下請け会社に押し付けられる。
そのレベルになれば、残業時間がどうの、社員の健康状態がどうのというのは、問題にさえならないから、さらに過重労働が悪化するだろう。地獄である。

この問題の本質はたんなる労働時間の問題ではない。流動性が少なく、既得権益にしがみついて生きる人間が佃煮にしたいほどいる「日本の会社」の体質の問題だ。

こんな生きにくい世の中はないと思うで、いやしかし。



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