「お上が国事行為にお出ましになれなくなっても、国民はそれを受け入れるでしょう」
「違う、そういうことではないのだ」
この夏、NHKが報じた今上天皇と宮内庁職員のこの会話に、今回の生前退位の問題は集約されているように思う。

多くの人は、天皇が高齢で「体がきついから」隠居をしたいのだと思っている。
いわば個人的な事情で退位を希望していると思っている。
宮内庁もそのように思い「別に仕事をしなくても、いてくださるだけでよろしいのですよ。象徴ですから」と言ったのだ。

今上は「国事行為」という仕事に生涯をかけてきた。おそらくは一瞬もゆるがせにしてこなかったと思う。「象徴」という自らの在り方についても、今上は真剣に向き合い、常に考えていたと思う。

今上天皇は、「国民の象徴」という歴史上かつてなかった地位と仕事、責任を昭和天皇から受け継いだ。
昭和天皇は、即位から20年間は、国家の主権者であり大元帥として陸海軍を統率していた。
しかし敗戦後の44年は、政治的権力を一切持たない「象徴」として在位した。

象徴天皇がしてきたことは、二つ。
一つは様々な機会に、国民の前に姿を現し、言葉をかけ続けることだ。天皇がもはや恐ろしい権力者ではなく、国民とともに生きる存在であることを身をもって示した。口にはしなかったが、戦前、厳しい生活を強いられた国民に対する謝罪の気持ちも含まれていただろう。

もう一つは、外国の賓客に会い、海外を訪問したこと。ここでも具体的な言葉は一切出さなかったが、戦前の日本がしたことを詫び、日本が不戦を誓う平和な国になったことを身をもって現していたのだと思う。
いわば昭和天皇は昔とは違う「新しい日本」「平和を愛する日本」を体現していたのだ。

この志を継いだ今上は、父帝と同じく、国民融和と世界平和のために、積極的に活動した。
今上と美智子皇后の姿から強く感じられるのは「祈り」だ。
平成になってから日本は未曽有の災害に見舞われた。
その都度、天皇は皇后を伴って被災地を訪ない、被災者の手を握って励まし続けた。その熱意は尋常ではない。被災者に向き合い、力になりたいという思いは、決してポーズでも打算でもなかった。国民のためにひたすら「祈る」ことを繰り返したのだ。
天皇、皇后は被災地でしばしば被災民と同じ食事をした。粗末な弁当や炊き出しのカレーライスを口にし、残すことはなかったという。

また今上は世界各地を訪れた。戦前、日本が被害を与えた国を積極的に回って、政治家だけでなく、民衆の前にも姿を現した。
これは父帝の遺志を継いだ「謝罪の旅」であっただろう。政治的発言となるために、そうした言葉は一切口にしなかったが、そこにははっきりとした「メッセージ」があったと思う。

今上は、世界に冠たる経済大国日本の象徴ではなかった。大国の威光を背景に胸を張ることはなかった。常に柔和で、腰が低く、謙虚で、丁寧だった。
それは戦前の日本が犯した愚かしい過ちにたいする謝罪、悔恨、さらには二度と過ちを犯さないという悔悛の意を体現していたと思う。

残念なことに、多くの国民、そして政治家や周辺にいる人間でさえも、今上の志を理解していない。
国民の多くは、戦後70年、「天皇は在位し続けるだけで、何もしてこなかった」と思っている。憲法の言いつけを守って、だれにも影響を与えず、何の働きかけもしてこなかった、と思っている。
だから「いてくれるだけでいい(今までもそうだったのだから)」というのだ。

80歳を超えた今上は、今、国民の前に姿を現し、多くの人と接して無言のうちに「融和」を説くという自らの使命が、難しくなっていることを痛感している。
また、世界の国々をまわり「平和な国日本」を訴えるという使命も難しくなっていることを痛感している。

これらは「摂政」ではできない。「象徴天皇」という地位、権能がない人間には、天皇と同じことはできない。だから皇太子に譲位したいといっているのだ。

私と同い年の皇太子は、雅子妃や子供のことにかかずらわって、何をしているのか今一つわからない印象がある。
しかし皇太子は父帝の意をくんでいるはずだ。帝位についたときに、祖父帝、父帝と同じ「象徴天皇」の仕事を果たす準備はできていると思われる。

安倍政権は、無言のうちに今上、そして皇室が、戦後日本の体制が変貌することに危惧の念を抱いていることを知っている。
だから、これを機に「政治の言うことを聞く天皇」を作るべく、微妙な工作を行っているのだと思う。
政治的でないがゆえに、政権から超越している天皇を、政治に取り込もうとしているのだ。

今朝、秋篠宮は天皇の発言に理解を示したが、そこには皇族が天皇の意を十全に酌んでいることがうかがえる。

変貌しつつある日本、エゴイズムがむき出しになりつつある世界に染まろうとする日本に対し、「象徴天皇」は、無言のうちに異議申し立てをし、抵抗の意を示しているのだ。

それを問うても、今上はにこやかに笑みを浮かべるだけだろうが、我々はそのことを理解しなければならない。




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