22歳になる女優が、新興宗教に洗脳されるのはそれほど珍しい話ではないだろう。
彼女の対応は、教団から世間の批判に対して「こう答えなさい」と教えてもらった想定問答集のようだった。まことによくできている。


もともと親がこの宗教の信者だったというから、違和感を持たなかったのだろう。
ただ、教団側が彼女を強引に引き入れようとしたのは、最近のことのように思える。おそらくは教祖大川隆法が、利用価値あり、と判断したのだろう。

それにしても千眼美子というネーミングは気持ち悪いが。

「幸福の科学」の信者は、教祖が東京大学出身を看板にしているからか、インテリ層が多い。作家景山民夫の名前がすぐに浮かぶが、私は仕事で接した税理士や公認会計士から、さりげなく入信を勧められたことがある。

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宗教は、その原初の段階では社会との間に大きな摩擦を起こす。多くは社会や既存宗教のカウンターカルチャー的なものとして生まれるからだ。
社会はこれを弾圧しようとする。その中でつぶれる宗教や、カルト化するものもある。さらには過激化して暴力行為に出るものもある。
しかし一定期間を経て、社会がその宗教に慣れると、宗教は社会と折り合いをつけ、社会の一員になろうとする。
さらに時間がたつと、宗教はその社会に溶け込み、時には権力と結びついたり、権威、権力そのものになったりする。

「幸福の科学」は、まだ「摩擦期」にある。周囲に違和感を振りまきながら勢力を伸長しようともがいている。
「創価学会」は次の「折り合い期」にあるといえよう。まだ抵抗感のある人々は多いし、海外ではカルトに指定されているが、政権与党の支持母体となり、社会の一員になろうとしている、

「幸福の科学」の政界進出は、明らかに「創価学会」を意識したものだろう。
しかし、なかなか得票が伸びず、いまだに議員を生み出しえていないことに、教団側は焦っているのかもしれない。今回の騒動は、それを打開するための新たなPR作戦だと思う。

しかし、このやり方は、世間一般の感覚からは、ずれている。
芸能界で多くのビジネスに関与している女優を強引に引き抜き、教団の顔に据えようという動きは、たとえ女優がどんなかわいそうな目に遭っていたとしても、世間の反感を買う。
教団側は「自分たちの道理が、世間に受け入れられている」という認識の下、こうしたことを引き起こしているだろうが、それは大きな勘違いだ。
世間は「幸福の科学」をまだ受け入れていない。
古今の歴史上の人物から、今生きている生身の人間まで、様々な人間に仮託して「霊言」と称する言葉を好き放題に発する出版活動は、まことに都合がよすぎるし、冗談にしか思えない。
また教団の理念のもと、学校を建設しようとする動きも、文科省の承認を得られず、世間の嘲笑を浴びている。

「幸福の科学」は、こうした世間との「違和感」を埋める努力をせずに、「理解できないほうが悪い」というスタンスで、強引なアピールを続けているのだ。

危惧すべきは、こうした活動の末に、「自分たちが社会から正当に認知されない」と理解した時に、過激な活動に出ないかということだ。

「オウム真理教」はインドの宗教に近いイメージで「修行」をキーワードに信者を集めた。そして「幸福の科学」同様に政界進出を試みた。
教祖麻原彰晃は、少なくとも数議席は獲得できるのではないか、と思っていたようだが、結果は箸にも棒にも掛からぬものだった。
これにショックを受けた麻原は「ポア」による救済という名目で、無差別殺人を行ったのだ。この教団にも高学歴者が多かった。

「幸福の科学」も、「オウム真理教」と同様、大川隆法という絶対的な教祖によって率いられている。
今のとんちんかんな言動は、すべて大川隆法の「現実認識の誤り」からきている。
22歳の女優に対する非常識な扱いは、この教団がいまだに「ものすごく勘違い」していることを世間に如実に知らしめた。

「幸福の科学」が、そうした現実に気づき、今のままでは日本社会に大きな影響を与える勢力になることは絶望的だ、とわかったときに、どんな変貌をするのかが恐ろしい。
女優をめぐる騒動は、「第二のオウム化」への第一歩でなければよいが、と思っている。



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