バブルの時代まで、格好良くて、ファッションでさえあった「サヨク」は、平成の声を聴くとともに、一挙に崩壊した。それは海の向こうで起こった史劇が契機となった。
ミハイル・ゴルバチョフがソ連共産党書記長になったのは1985年のことだ。ブレジネフの後、アンドロポフ、チェルネンコと短い間にソ連のトップは入れ替わったが、ゴルバチョフは話の分かりそうな風貌の指導者だった。
ゴルバチョフは「ペレストロイカ」「グラスノスチ」と大胆な改革を推進した。1989年にはアメリカのレーガン大統領とにこやかに会談した。当時の人々はこのシーンを幸せな物語の始まりだと思った。長い冷戦の時代が終わって、世界の人々が手をつなぐ日が来るのだと。ソ連は、改革開放化した中国に続いて西側社会に穏やかに近寄っていき、融和するのだと。私たちはそう思った。

しかしそうはならなかった。ゴルバチョフが目指した共産主義、社会主義のソフトランディングは失敗し、ソ連の影響下にあった赤い国々では「反革命の嵐」が吹き荒れ、社会主義国家は、キューバと北朝鮮、中国を残して一気に崩壊したのだ。

この歴史のドラマを目にした日本人は、サヨクの総本山たるソ連や、東欧諸国の社会の実態をつぶさに知った。そこには理想は全くなく、専制主義的な独裁しかなかったのだ。
ちょうど同じころ、共産主義の看板は残したまま、急速に資本主義化を推進していた中国でも、大きな騒乱が起こった。1989年の天安門事件だ。中国はこの事件を契機に、守銭奴ともいうべき国家になって「鬼化」していくが、もう一つの赤い大国中国にも自由や平等や人権は存在しないことが一気に露呈した。

もちろん、日本のサヨクたちは、もはや純朴ではなかった。共産主義、社会主義が理想的でも何でもなくて、資本主義と同様権力闘争がある生臭い政治形態であることくらいは承知していたが、反革命の進行とともにソ連、東欧の国がいかに醜く、不正に満ちた国だったかを嫌というほど知ることになった。「鬼化」した中国の醜さも、一気に伝わった。
まさに幻滅。日本の左翼は一気に委縮し、ファッションでサヨクをしていた人たちはどこかへ消えていった。

ソ連はロシアと名を変える。強権的なエリツィンを経て独裁者プーチンが現れ、この国も「鬼化」するのである。

日本共産党だけでなく、すべての日本の左翼は、何らかの意味で「暴力革命」による社会主義国家の建設を目指していた。
その理想形はソ連や中国ではなかったにしても、そっちのサイドに入ることが目標だったのだ。しかし「そっちのサイド」が実質的に消えてしまった。しかもすごく悪いイメージを振りまきながら。
この時点で、サヨクは存立の基盤を失った。いくらファッションだからと言っても、理想のない根無し草では生きていけない。

この時期、日本はバブルが崩壊し、長い低迷の時期に入った。自民党と官僚が主導した「高度経済成長」のビジネスモデルは、成立しなくなった。
サヨクもボロボロになったが、自民党も弱体化したのだ。

1990年代半ばになると「55年体制の崩壊」という言葉が口にされた。
1955年に自由党と民主党が合同して自民党ができた。同時に左派社会党と右派社会党も合同して社会党ができた。与党と野党は同時に生まれて、ここまで歌舞伎のような「政治ごっこ」を演じてきた。そして実際の政治は、与党と官僚がマネジメントしてきたのだ。

しかし、この図式が崩れて、自民党は度重なる失政とスキャンダルの果てに1993年にいったん政権を投げ出して下野するのだ。
このときに政権を担ったのが社会党を中心とする連合政権。
「サヨク」のよりどころを失った野党勢力は、与党自民党の失策によって、棚ぼた的に政権を手にした。

野党にとってはこれぞ天恵であったはずなのだが。
社会党を中心とする革新政権は、悲しいまでに実務能力がなかった。経済問題から外交問題まで、何も実績を残すことができなかったのだ。
日本を実質的に動かしてきた「官僚」を操縦するすべを持たなかったことが大きいが、それにしてもひどかった。

ここから長い政治的混乱が続く。
自民党と社会党がくっついて政権を担ったり、自民党が返り咲いたり、新興政党が政権を取ったり。
この間も、「サヨク」の幻滅は続く。野党は、純粋な左翼勢力をどんどん切り捨てるようになる。社会党は旧民社党や自民党崩れなどと組むようになる。
元の社会党は社民党と名前を変えたが、まるで消しゴムのカスのように選挙のたびに小さくなっていまや風前の灯火である。

何度もの政変のたびに、旧来の自民党以外の政党に、政権を担う能力がないことが露呈する。
なぜか野党政権の時に、阪神大震災、東日本大震災と壊滅的な地震が日本を襲ったことも野党勢力にはマイナスに働いた。

21世紀に入ると、北朝鮮の日本人拉致問題も明らかになった。
一時期、左翼知識人が「理想の国」のように喧伝していた国が、おぞましい抑圧国家であり、多くの日本人をさらっていたことも明るみに出た。

さらに「従軍慰安婦問題」で、朝日新聞が1980年代から、研究者吉田清治のねつ造をそのまま報じていたことが分かった。朝日は戦前の日本軍の残虐行為を糾弾するキャンペーンを長く展開していたが、その信頼性が一気に揺らいだ。

いわゆる「右翼」は、それまで言論界では歯牙にもかからない扱いだったが、ベルリンの壁の崩壊、天安門事件、北朝鮮拉致問題、朝日の従軍慰安婦問題と、左翼勢力に致命的な打撃を与える出来事が連続する中で、力を持つにいたる。

特に朝日新聞に対する攻撃は激しかった。エリート臭がきつく、右翼への蔑視があらわだった日本のクオリティペーパーは、袋叩きにされた。
戦前、日本軍はアジア各地に侵略し、略奪行為をしていたことは明らかだが、右翼勢力は、それらも「朝日、サヨクの謀略」だったかのような主張を始める。
朝日新聞は防戦一方となった。しかし彼らはみっともなかった。めめしい隠ぺい工作や言い訳の挙句、2014年に至って従軍慰安婦に関する重大な虚偽報道があったことを認めた。

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こうした過程を経て、サヨク言論は大幅に後退し、右翼が大手を振って跋扈するようになる。
ちょうとインターネットが普及しはじめた時期でもあり、ネトウヨのように極端な主張をする連中も現れる。

サンケイ新聞と言えば購読料が他紙よりも安いこともあり、マーケティング的には「低所得」「低学歴」層のメディアとみなされていたが、「国益」「反日」などの言葉を多用し、財界、政権べったりの姿勢を明らかにすることで、存在感をもつようになる。

讀賣新聞は、かつては左右両派の言論人がいる大新聞だったが、ナベツネこと渡辺恒雄が中曽根政権に密着してヘゲモニーを得た時期に、黒田清、大谷昭宏などの左翼系のジャーナリストを一掃し、自民党寄りの論調の新聞となった。

サンケイ、讀賣は部数拡張競争をめぐって、不倶戴天の間柄であり、同じサイドながら手を結ぶことは全くないが、こうして「右」の論陣が形成された。

朝日新聞は、毎日新聞とともに「左」の論陣を形成しているが、非常に臆病になり、ややこしいことには一切手を出さないようになった。あたかも歌舞伎役者のように左側で見栄を張ってはいるが、世の中を変えるようなことは一切しない。存続することだけを目的とする臆病メディアになった。

21世紀になって10年ほどして、日本の「第4の権力」、言論は、「脳死」状態に陥るのだ。生きてはいるが、何もしない、何もできない。

私は日本の危機はせんじ詰めればこれだと思うのだが。

そして、第二次安倍政権が誕生するのである。

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