セクハラは、喫煙や飲酒とともに、今世紀に入ってから社会に急速に意識された問題だ。基本的には、これは「社会が良くなる」兆候の一つだと思う。
男尊女卑が社会の基本だった日本では、セクハラは当たり前のことだった。
女子野球の取材で、古い女子野球選手に話を聞いて驚くのは、試合が終わってからオーナー企業の幹部の宴席に出て、お酌をするのも仕事の一つだったということだ。選手の募集要項には常に「容姿端麗」という言葉が入っていた。要するに「女だてらに野球をすることの珍しさに男が興味を示す」という図式の中で成立していたのだ。彼女たちは「芸者」だったわけだ。

昭和中期のサラリーマンを扱った映画では、男性社員が女性社員のお尻をさわるのは「見慣れた日常」のシーンの一つだった。

昭和も後期になれば、そういう意識は相当改まってはいたが、それでも今から見ればおかしなことをする人がたくさんいた。

セクハラには2種類あると思う。

一つは常習的に「軽いセクハラ」をするタイプ。サラリーマン時代の私の同僚は、通勤電車で「今日は何人さわった」と平気で言った。「なぜ、そんなことをする?」と聞けば「女の子も喜んでいる」と言った。「そういう度胸はないだろ」とも言った。この手の人は、そういう行為が「男らしさ」だと思っているようだった。

もう一つは地位や権力を利用して「重いセクハラ」をするタイプ。こういう人は、平素はセクハラまがいの行為はしない。しかし、人が見ていないところで特定の女性に迫るのだ。ほとんどの場合、立場が弱い女性に。
昔勤めていた会社で、退社後、若い女性社員のマンションに強引に上がり込む幹部社員がいた。本人は気づかれていないと思っていたようだが、社員は全員知っていた。

後者のセクハラの方が罪が重いのは間違いないが、この二つの行為をする人に共通しているのは「男はみんなそうするはずだ」「それが男だ」と思っていることだ。

実際には「セクハラ」は特定の、おかしな人しかしない。しかし、セクハラ行為をする人は「男はみんなそういうことをしたがっているが、度胸がないから、権力がないから、そうできないだけだ。俺は権力がある本当の男だから、そうしている」と思っている。
こういう存在は「女性の敵」ではあるが、どうじに「すべての男がセクハラをしたがっている」と言う印象を社会に拡散するという点で、「男性の敵」でもある。

みんながあなたと同じではない。あなたのように下司ではない。

今回の財務省の次官の話は、二つ目のセクハラの典型だ。状況がどうであれ自分があんな恥ずかしい、情けない発言をしていることが世間に広がれば、普通は死にたくなるはずだと思うが、彼は平気なようだ。「男ならそういう言動をして当たり前だ」と思っているからだ。これは男性という性に対する侮辱だ。この男はエリートかもしれないが、品性でいえば最下層だ。

彼らを「少し道を誤った人」「やりすぎた人」のようにみなすのは正しくない。

セクハラをする人、それを異常と思わない人にぴったりする言葉はただ一つ。「変態」である。

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