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この横綱は、私に「相撲の勉強」をさせてくれた人だった。
石川県七尾市の出身、金沢高校から日大。日大相撲部時代は悪名高き田中英壽 現日大理事長の一の子分だった。二の子分はちなみに荒勢英生だ。学生横綱2度獲得。1970年に花籠部屋に入門。

花籠親方の特別待遇も話題になっていた。同じ阿佐ヶ谷一門の貴ノ花とは手があって、ライバルと目された。
出世は非常に早くて、6場所で新入幕。翌年11月には貴ノ花と揃って大関昇進。1971年、横綱大鵬が引退し、横綱北の富士、玉の海の北玉時代到来と言われたが、玉の海が急逝、土俵は火が消えたようになっていた。ここに登場した若い2人のスター力士を、世間は大歓迎した。

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ただ、当時から輪島は角通には評判が悪かった。輪島は左四つだったが、右上手を活かさず、左下手からの投げにこだわったからだ。力士の基本は上手、投げを打つのも、寄るのも上手から、というのが大前提だったが、輪島は引きずるような下手投げが得意だった。
「これはよくない」「相撲の本道に反する」小坂秀二など、うるさ型の論客は輪島を非難した。そして小柄だが上手から攻める貴乃花をほめそやした。
しかし、輪島は下手からの攻めで勝ち星を重ねた。
下半身がどっしりしていて、揺るがない。しかも粘り気もあって、組めばじわじわと有利に持って行けた。そして勝機と見るや、ズバッと攻めた。勝負勘が抜群だった。

苦手は高見山大五郎。輪島はのど輪の攻めが嫌いだった。のど輪で攻められると顔をそむけてしまう癖があったため、突き押し相撲の高見山にはあっけないほど簡単に敗れた。私は高見山が大好きだったので、輪島戦が楽しみだった。

貴ノ花に限界が見える中で、輪島は一人横綱に昇格。北の湖と「輪湖時代」を築く。北の湖は怒涛の寄りと上手投げなど投げ技も巧みな正統派、輪島は変則と評されたが、横綱になって7回も優勝したのは立派だ。

プライベートの評判は良くなかった。遊び好きと言われた。私は巡業で、土俵下で付け人に灰皿を持たせて土俵に上がる寸前までタバコを喫っているのを見て幻滅した覚えがある。

いわゆる「相撲バカ」で、引退後は非常識な行動をした挙句相撲界を追われた。その後については興味はない。

ただ同じ阿佐ヶ谷一門のはるかな後輩、貴乃花が角界を追われたタイミングで死んだことにはいくばくかの因縁を感じる。


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